4月10日(日)
いざ、東北へ!
2011年4月10日 22:11
これから東北に向かって出発です。東北大震災の被災地へボランティアに行きます。曹洞宗SVAの呼びかけにのって、小倉で大分のお坊さん達と合流しました。これから出発します。宮城・岩手まで24時間かかるそうです。交互に運転を交代しながら、いざ東北へ!
4月11日(月)
西宮通過
2011年4月11日 5:37
空が白み始めました。
東へ北へ、そして東へ
2011年4月11日 13:39
現在、新潟通過中です。
地震発生
2011年4月11日 18:00
只今、仙台付近を走行中。
17:16の福島・茨城震度6の地震発生時には、ちょうど福島北部を走行中で、車中でも分かるぐらい車が揺れました。ちょっとビビりました。
到着
2011年4月11日 22:15
実に30時間、距離にして1,800km。ようやく岩手県一関市に到着しました。お寺さんに宿泊させてもらいます。
明日は400名分の炊き出しです。
4月12日(火)
積み込み完了
2011年4月12日 7:57
午前5時起床。気温は1度。
これから炊き出し用の積み荷を乗せて、陸前高田市へ。
気仙沼
2011年4月12日 8:16
港側は壊滅状態です。信じられない光景です。自衛隊の方がたくさんいらっしゃいます。街が、、、
陸前高田市
2011年4月12日 8:36
ことばがでません。
炊き出し
2011年4月12日 12:29
焼きうどん400食、完食です。膨大な量の切り込みや大釜での料理にヘロヘロになりましたが、皆さんに喜んで頂けました。
街が消えています
2011年4月12日 15:27
陸前高田市のパノラマ写真です(クリックで拡大)。街全体が消えています。あまりの惨状にことばがでません。胸から下が鉛のように重くなります。
4月13日(水)
霜がおりています
2011年4月13日 6:23
早朝の地震は震度4。寝袋から跳ね起きました。大地が揺れると、不安になります。
今朝は氷点下。霜がおりています。寒いです。今日は40人程度の避難所で、100食分のまかないと子ども達との交流もある予定。
昨日到着の松本からのボランティアには、そば職人がいて、今日500食分のそばをうつそうです。すごいな〜。皆さん、喜ばれるだろうな〜。
気仙沼沿岸部
2011年4月13日 9:09
気仙沼市の沿岸部のパノラマ写真です(クリックで拡大)。ここも何もありません。アスファルトがえぐりとられています。いろんな物が流されて来ています。きっと思い出が詰まっている物がたくさん。海鳥の鳴き声と重機の音だけが響いています。
久しぶりの顔、顔、かお
2011年4月13日 14:41
(気仙沼のある地域より。)
震災以来、初めて子ども達が集まったのだそうです。今日は3学期の補習授業。学校はないから集会所で。とっても嬉しそうな、楽しそうな声が響いています。小さいながらも遊園地のようなにぎわいです。
ここは水が出ないので、自衛隊が水を運んでくれます。命の水です。
お昼のメニューは、スパゲッティミートソースにポテトサラダとウィンナー、そしてティラミス!子ども達、すっごく喜んでくれました。
(回線状態がスゴく悪くて、アップが遅くなりました。)
救援物質を届けました
2011年4月13日 15:50
午後からは2箇所の避難所に救援物質を届けました。今回はお米や赤ちゃん用品など。必要な人に必要な物をとどけるのは大変。皆さんお互いに思いやりながら分け合っていらっしゃるようです。
4月14日(木)
余震
2011年4月14日 6:54
昨夜も何度か余震がありました。睡眠中に揺れで起こされるのは、なんとも嫌なもんです。
今朝も冷えています。体が筋肉痛。ボランティア同士で随分仲良くなりました。
昨日アップ出来なかった気仙沼沿岸部の写真を載せます。至る所が瓦礫の山。家々が壊させ埋もれ、船や車が流され来て埋まっています。避難所ごと流されたところもあるとか、、、。涙がこみ上げて来ます。ここでは想像を絶することを見聞きしました。
今日の炊き出しは400人分。最終日です。頑張ります。
炊き出し中
2011年4月14日 10:28
一昨日と同じ避難所で炊き出しです。手順にも慣れて少し余裕がでてきました。子ども達と一緒に大騒ぎしながらの料理です。嬉しいです。
昼食
2011年4月14日 13:02
今日のメニューはフグ雑炊(!)、スパゲッティミートソース、ポテトサラダ、酢の物。大盛況です!
一緒に復興を目指しましょう。
2011年4月14日 14:21
今日の炊き出しも皆さん喜んで下さいました。
「おいしかったです」「ありがとうございました」こんなに言葉が胸にささったことはありません。たくさんの人達が見送りに出て来て下さいました。手を振ってお別れです。「頑張って下さい」とは言えませんでした。一緒に復興を目指しましょう。
復興を祈りながら
2011年4月14日 19:33

救援物質の搬入や諸々の片付けもようやく終わりました。これから東北を去り、口之津に帰ります。
3泊お世話になった一関市の長泉寺さん、お世話になりました。SVAの皆さん、大分・長崎の曹青会の皆さん、ご苦労様でした。
コメントにも書きましたが、僕がボランティアに行くのを後押ししてくれた家族やお寺、保育園のみんなに感謝です。そしてコメントを書いてくださった方々、激励メールを送って下さった方々にも感謝しています。とても励みになりました。
被災地の一日でも早い復興を心から、本当にほんとうに心から祈りながら、東北を去ります。
4月15日(金)
ただいま
2011年4月15日 23:54
1,800km、29時間。
ようやく家にたどり着きました。
乗り越える力(最後に一言)
2011年4月16日 17:19
昨夜 遅くに戻りました。岩手県一関市から長崎県口之津までの1,800kmを、休憩をはさみながら車で移動。約29時間かかって自宅に到着しました。日曜の夕方に出発しましたので、丸5日間。あっという間だった気がします。その間、たくさんの方にご協力頂きありがとうございました。特に支援の準備をすべてなさった曹洞宗SVAや大分曹青会の皆さんには、本当にお世話になりました。私はただ連れて行ってもらっただけのようなものです。皆さんの献身的なご尽力に頭が下がります。また、その他にもたくさんの方々のご理解とご協力があって現地に向かうことができました。ありがとうございました。
被災地に入り災害の甚大さを目の当たりにすると、言葉を失ってしまいます。胸から下の血液が一気に固まりだして、身体が重くなったような感じがしました。今までに経験したことがない不安感です。実際に見ている世界を頭が受け止められず、でも身体はその恐ろしい現実を感じ取っているような、頭と身体が入り交じって沈み込んでいくような重い感覚です。ですが、打ちひしがれている場合ではありません。やるべきことがあります。今回は炊き出しと救援物資の運搬を目的としてここまで来たのですから、それらをしっかりとやるのみです。私なりに全力で行いました。
私はどうしても子どもたちに目が行ってしまいます。どうしているのかと心配してしまいます。案外子どもたちは元気で、訪れたところでは子どもたちの笑い声が聞こえていました。お友達と一緒に楽しく遊んでいました。2日目に訪れた集会所では、その日が震災後の初めての授業再開で、3学期の補習授業を行ったそうです。学校が使えないので、小さな集会所での授業。久しぶりに会えたお友達と目を輝かせて遊んでいました。初日と3日目に訪れたところは同じ老人福祉施設で、その中に子どもたちも一緒に住んでいました。私たちが料理を作っていると、興味津々に子どもたちが寄ってきます。そのうちに少しずつお話をするようになりました。ほとんどが子どもらしい楽しい内容なのですが、時々ドキリとするようなことを言ってきます。この春 中学校に入学するのを楽しみにしていた男の子は「新しい制服もないんだよね。家が流されちゃったからさ。」と明るく言います。私たちが作る焼うどんを楽しみにしていた男の子は「うどん、ひさしぶり~!前におばあちゃんと一緒に作ったことがあるんだよ。でも、家がないから、作れなくなっちゃった。」と、ちょっと寂しそうに言っていました。また、私がタマネギを切っていると女の子が遊びに来たので、私が「今は包丁を使っているから危ないよ。それにタマネギを切っている近くにいると涙が出てくるよ。」と言うと、その女の子は「もうたくさん泣いたから、もう涙はでないよ。」って言いました。私は何の言葉も返すことができませんでした。他にも、両親を失って「おばあちゃんと2人になっちゃったけど、もうすぐ学校が始まるから、僕ガンバリます。」と力強く言った子もいたそうです。この子たちの悲しみの深さはどれくらいでしょう。この子たちの悲しみを推し量ることはできません。余震も続く中、暗い夜にしっかりと眠られるのか心配になります。それでも、昼間の子どもたちの明るさのなかに希望を感じます。きっとこの子たちは、この悲しみを乗り越えてゆけるでしょう。私はそう信じています。
今回の支援で私が痛切に感じたのは、自分の力のなさでした。本当にわずかなことしかできません。食材を刻むのも遅く、水などの重い物資を幾度も運ぶと腰が傷みます。水の冷たさに手が凍えるし、疲れてくると足が重くてテキパキとは身体が動きません。適切な言葉をかけることも出来ませんでした。ただただ無力感を感じました。ですが、その時に支えになったのは、ボランティア仲間であり、メールやダイアリーのコメントで激励して下さった方々です。仲間の声は絶大です。恋人の言葉一つで喜び、傷つくように、仲間の言葉に自分を鼓舞することができました。心からありがたかったです。
恥ずかしながら、支援に向かうまでの私はボランティアのことを偽善的なイメージや自己満足的なイメージで幾分か見ていました。ですが「何かやらなくちゃ!」という衝動を抑えきれずに現地に入り、全身全霊で動いていると、以前にイメージしていたそんな小さなことではないことに気がつきました。もっと生きることの根本とつながっているような気がしました。きっと今東北地方でボランティアに入っていらっしゃる方も、人とのつながりを感じながら、懸命に動かれていることと思います。
私たちに出来ることはたくさんあります。物資、義援金に限らず、祈ることや伝えることも支援につながると思います。ことの大小ではなく、「気づき」なのではないかと思っています。宿泊させて頂いたお寺のご住職に「私たち九州の人間も、どうにか被災者の方々の力になりたいと考えています。何か出来ることはありませんか?」と尋ねました。ご住職さんは「どうぞ被災地の特産品を買って下さい。この土地で生産したものが売れると、地元の経済が活気づきます。義援金も救援物資もとっても助かりますが、ここの特産品をご購入頂くと地域が活性化します。」と仰っていました。東北地方のお米を買ってみたり、晩酌に東北のお酒を飲んでみたり、ちょっとしたことで支援につながるようです。私たちが出来ることの一つに加えてみて下さい。
岩手ではちょうどつくしが春の到来を告げていました。厳冬にも春が巡ってきました。この震災を乗り越えられる日が必ず来ます。小さな流れが大きな河になっていくように、一人の小さな行動に仲間の声がかかって、その力が強くなり、その輪が大きくなっていくでしょう。そして、きっと想像もできないような強く大きな力になると思います。たくさんの人たちの悲しみは、たくさんの人たちの力で乗り越えていけると信じています。
知見
2011.4.16.
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