たまみねダイアリー・番外編:災害ボランティア2


玉峰保育園

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TAMAMINE DIARY extra2

園長先生の東日本大震災ボランティア2

11/20〜22に南島原市保育会主催の「南三陸町へエールを送ろう」プロジェクトの報告です。今回もたまみねHP「ダイアリー」でリアルタイムアップをしたところ、数多くの方が訪ねて下さいました。有難うございました。
 ここでは、流れを分かりやすくするために、ダイアリーの内容を時系列に並べ替えました。写真を数枚追加しましたが、文章は同じです。

11月21日(月)

仙台到着

2011年11月20日 12:58

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南島原市保育会のボランティア活動で、仙台にやって来ました。二泊三日。僕は福島、宮城、岩手を巡ります。

福島にて

2011年11月20日 23:49

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福島県南部のお寺にきました。ここは3.11の地震の甚大さが残っています。仏像や墓石が倒れているのをみると胸が痛みます。今回の震災は津波だけではなく、地震による被害もやはり大きかったのですね。はじめて実感しました。遠くに目を向けると山々の紅葉がとても美しく、自然の残酷なまでの力強さを思わずにはいられません。
 このお寺の副住職さんは大学院時代の友人で、10数年ぶりに会いました。懐かしさにいろんな話をしましたが、被災した彼が発する言葉は僕の想像を超えるもので、時折言葉につまってしまいます。特に福島は原発による風評被害が大きいようです。テレビで見聞きする除染の苦労など、現地の方々の心労は大変なものです。ここに保育園やたまみねキッズ、すくすくサロンで作った千羽鶴を贈ってきました。みなさんの復興に対する祈りと一緒にしっかりと届けましたよ。子どもたちが安心して思いっきり遊べる以前の姿に、早く戻れますように。

11月21日(月)

朝焼け

2011年11月21日 7:56

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朝焼け。おだやかな海です。
 今日は保育士のみなさんと南三陸町の保育所2箇所を訪問して、午後からは僕一人で気仙沼や陸前高田を再び訪れようと思います。

鉄道が、、、

2011年11月21日 9:22

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南三陸町、高架の駅まで波にのまれたそうです。復興はしっかりと進んでいるようです。

伊里前保育所

2011年11月21日 10:14

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南三陸町・伊里前保育所で初の公演!子ども達も一緒に歌って、楽しそうです(^O^☆♪

名足保育園

2011年11月21日 11:30

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名足保育園です。ここでも歌って踊って、たくさん笑って、すっごく楽しい時間を過ごしました。それにしてもアンパンマン人気はすごいな~(^∇^)

負げねえぞ 気仙沼

2011年11月21日 13:16

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4月のボランティア以来、久しぶりに気仙沼に来ました。海岸沿いは今も津波の生々しい爪痕が残っています。
 今日気仙沼に来た理由は「ずがとよ酒店」に寄ることです。ここのおかみさんが書かれた「あなたへ」という手紙(第二回恋文大賞受賞)をWebで読んで、大泣きして、どうしてもこのお店に来たいと思っていました。お店の方々は「長崎からわざわざどうも!」と、とても親切に迎えてくれてました。津波でもとの店舗は流されてしまい、四月からこの仮店舗で営業されているそうです。ここにも確かな復興の軌跡があります。
「負げないで 気仙沼!」

到着

2011年11月21日 15:16

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4月に炊き出しをした陸前高田の養護施設を訪ねました。僕はずっとここで会った子どもたちのことが気になってました。もう子どもたちはいません。それぞれの居場所に移ったのだそうです。
 お忙しいなかに職員の方が災害前の街の様子を話してくださいました。とても過ごしやすくていい街だったそうです。その7割りが無くなってしまった、と寂しくつぶやかれた表情が印象的でした。いま街は破壊されています。無惨な形のままで残された鉄筋の建物と、広い平野にがれきの山、舞い上がる埃。美しい街が変わってしまっています。

11月22日(火)

志津川保育所

2011年11月22日 10:44

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志津川保育所に来ました。佐藤保育所長さんから震災当日の話をうかがいました。小さい子を連れての避難は大変です。いつも緊急時に備えることが大切さを知りました。
 また、ここでも園児たちと一緒に歌ったり、踊ったり、いっぱいいっぱい笑いましたよ。帰りには皆さんから折っていただいた千羽鶴や手作り紙芝居をプレゼントしました。とっても喜んでもらえました。やっぱり子どもたちの笑顔が一番です(^∇^)

さようなら、南三陸町

2011年11月22日 12:28

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2泊3日の「南島原市保育会東日本大震災人的支援、南三陸町にエールを送ろうプロジェクト」も無事に終了。これから、長崎に戻ります。

長崎到着

2011年11月22日 19:10

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無事に長崎へ帰って来ました。みなさん、ご苦労様でした。いろいろとお世話になりました。素晴らしいチームでしたよ ( ´ ▽ ` )ノ



誰かのために祈ること(最後に一言)


 再び東日本へ行って来ました。南島原市保育会主催の「南三陸町へエールを送ろう」プロジェクト、保育士と共に11人で、南三陸町の保育園を訪れました。歌や踊りに紙芝居、アンパンマンまで登場して、子どもたちはすっごく喜んでくれました。保護者の皆さんや学童の子どもたち、園児のみんなに折ってもらった千羽鶴もしっかりと渡してきましたよ。皆さんの祈りを確かに届けましたからね。
 私は午後の空き時間を利用して、前回訪れた気仙沼や陸前高田を再び、そして友人の住む福島も訪問しました。
 そう、地震や津波だけではなく、今回の震災では「放射能」の恐怖があります。僕が大学に入学したのはチェルノブイリ事故の1年後。教養学部の授業でも大々的に扱われていました。当時は薬学を専攻していましたので、多少の専門知識も学びました。また当時、忌野清志郎のRCサクセションが「なにいってんだ〜♩」と原発反対ソングを歌ったアルバムが販売禁止になったことも衝撃的でした。販売禁止になる直前のコンサートで、清志郎の気迫に満ちた叫びに身を震わせたことを鮮明に覚えています。そして今回の原発事故。福島の生の声を聞きたくて、旧友を訪ねました。そこでたくさんのことを聞きました。彼が手に持っているガイガーカウンターが、僕には別の世界のように思えました。小さな子が雨に濡れるのを極端に嫌がるのだそうです。「雨にぬれると死んじゃうんでしょう!」って泣くんだそうです。なんの罪もない子たちがかわいそうで、とても胸が痛みます。同じ被爆をした長崎の人間として、おじいさんやおばあさん達から原爆のことを聞いてきた者として、強く願います。福島の未来を願うことと同時に、福島に対する風評被害がこれから広がらないことを強く願います。原発事故にまつわる様々な被害が収束していくのは、まだまだずっと先のことでしょう。気の遠くなるほど先かもしれません。それでもしっかりと歩を進めていかなくてはいけません。それは大人である僕たちの責任だと思います。
 一方、宮城や岩手の沿岸部、津波の被害をうけた街は、9ヶ月以上経った今では荒廃というよりも、所どころにガレキが山と集められ、土台のみが残る灰色の殺風景な街と化していました。奇妙に平坦な街の中を車やダンプが砂埃をあげて通りぬけてゆきます。何というか、全く生活感がなく、ちょっと不思議な感じがしました。それとは対照的に東北の山々は紅葉して活気づき、何事もなかったように実りの秋を演出しています。このアンバランスな光景を前に、災害の恐ろしさ、人間社会のはかなさ、自然の雄大さ、これらがごちゃ混ぜになった感情を抱かずにはいられませんでした。
 前回4月に行った時には、ただひたすら被災者の方達のために自分ができることを精一杯やってきました。感情が爆発してしまったように、押さえきれない衝動に押し進められて行動しました。加減を考えず無茶をしたのでしょう。その時に肩を痛めてしまったようで、こちらに帰って来てから肩が上がらず、ボールも投げられなくなりました。うまく作業ができないと「これは勲章ですよ」なんて、生意気な言い訳をしていましたが、肩が痛むたびに、被災地のことを思わずにはいられませんでした。あの子達はどうしているんだろう。あの子たちのことを思うと、今でも涙があふれてきます。ずっとずっと気にかかっていました。
 8ヶ月振りに訪れた、当時避難所として使われていた老人ホームも、今では通常の落ち着きを取り戻していました。人で溢れかえっていた部屋も廊下も、ゆったりとした笑顔が通うリラックスした場所になっていました。私がこの8ヶ月間ずっと気になっていた子どもたちもどこか別の場所に住まいを見つけたようです。今はそれぞれに落ち着いた生活を送っているとうかがって、少し胸が軽くなりました。それを聞いただけで、胸がいっぱいになりました。IMG_3273.jpg
 職員の方と色々と話しているなかで、震災前の陸前高田市の写真を見せて下さいました。「とっても住みやすい、美しい街だったんですよ」目を細めてそうおっしゃいました。僕は複雑な気持ちでその写真を見つめていました。きっとたくさんの人たちの、ギューッと抱きしめたくなるようなたくさんの思い出が、街の至る所につまっているんでしょう。街全体が、友情や恋や笑いや、悲しみさえも包みこんでいたのでしょう。その愛おしい街が壊れてしまって、どんな心持ちなのでしょうか。僕はとても複雑な気持ちでお話を聴いていました。そして、「気にかけてもらっていたことが嬉しい」とおっしゃって下さいました。そう言っていただいて、何だかこちらまで嬉しくなりました。そして同時にハッと目が覚めたように気が付きました。『これが「祈る」ことなのかもしれない』。そう思ったのです。「誰かのために祈る」。それは大それたことなのではなくて、ちょっとだけかもしれないけれど、でもいつも気にしている、フッと思ってしまう。つい考えてしまう。これが「誰かのために祈る」ことなのかもしれないと思いました。そしてこの「祈り」は、きっとその誰かに伝わっていると思うのです。証明はできませんが、そう確信してしまうほど、私たちの祈りは強いように思われてなりません。
 復興に向けて、今もすでに大きく動き始めています。前向きにみなさん頑張っていらっしゃいます。その中で僕たちができること、それはたくさんあると思うのです。人的支援、物的支援、痛みや悲しみに耳を傾けたり、祈ったり、後ろ向きな思いまでもひっくるめて、僕たちがかかわっていけると思います。復興はこれからです。この大きな悲しみを、たくさんの人たちの力で乗り越えていきましょう。

知見
2011.12.31.