副園長時代にも一言
毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。
H14.12. 天網恢恢、疎而不失
中国の古典的思想書『老子』の中に、
「天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎(そ)にして失(うしな)わず」
という言葉があります。
「天網」とは天の裁き、「恢恢」とは大きいという意味。天の網はこの上なく大きく、網目は粗いように見えるけれども、何ひとつ取り逃すことはない、という意味です。
この世の中には理不尽なことや、悪いことがまかり通っている場合がありますが、それは一時のことにすぎません。「天道」、つまり宇宙の法則は人間社会にもくまなく行き渡っていますので、悪いことをしたら、必ずその報いを受けます。俗っぽくいえば、「お天道さまはお見通しだよ」ということです。また仏教的にいうならば、「因果応報」となりましょうか。種をまけば芽が出て花が咲くように、自分が行った行為には、その善悪にかかわらず必ずそれに応じた結果が生じるということです。
私達は頭では分かってはいても、つい良くないことをしてしまったり、人が見ていないからと気を緩ませて、つい自分を甘やかせてしまいがちです。それは大人でも子どもでも同じことです。「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」(『論語』)という基本的な立場に、もう一度立ち返って自分を反省してみましょう。「楽しまなくっちゃ!」だけではなく、自分をしっかりと律する行動が、今とても必要とされている時代のように思われます。
H15.04. 人を愛する者は‥
入園 進級おめでとうございます。
今 保育園では62名の元気な声が響いています。
職員一同よりよい保育を目指して邁進していきますので、今年度もよろしくお願いいたします。
新年度には送迎時に保護者に抱きついてはなれない園児が多く見られます。特に新入園児にとっては、家族と長い時間離れるのは生まれて初めての経験かもしれません。子どもたちはこの経験を乗り越えて、たくましく成長していくのですが、親の衣服を強く握って離さない小さな手に、家族の強い愛情を感じずにはいられません。
皇太子ご夫妻のご長女 敬宮愛子さまの命名の由来となりました『孟子』の言葉
人(ひと)を愛(あい)する者(もの)は、
人(ひと)恒(つね)に之(これ)を愛(あい)し、
人(ひと)を敬(けい)する者(もの)は、
人(ひと)恒(つね)に之(これ)を敬(けい)す。
のように、自らの愛情行為は自分自身にも返ってくるものです。これは家族間でも同じことのように思います。たくさんの愛情をそそいでもらった子どもは、たくさんの愛情をそそぎ返してくるのです。ここに5歳の子の詩があります。
おかあさん だいすき
おかあさん だいすき
かみさま ありがとう
おかあさんを くださって
親の愛情と同様に、子どもの愛情も美しく素晴らしいものですね。
H15.05. 誰もが同じ可能性を持っている
新緑が目に鮮やかな好季節となりました。木々の若葉の美しさは、子ども達の成長にも似ていて、実に清々しいものです。子どもの健やかなる成長とその子自身の才能の開花は、人類共通の親の願いでしょう。
ヴァイオリン教育法の一つに、鈴木メソードという世界的にも認められた指導法があります。そこでは子どもだけでなく、母親も一曲弾けるように指導するのだそうです。母親にヴァイオリンの練習を義務付ける事によって、ヴァイオリンを学ぶ事の大変さを具体的に知る事になり、子どもに対して出来もしないような高望みをする事も無くなります。優れた教師とは、教える内容に習熟しているだけでなく、初心者が何処でどのようにつまずくかについても十分に習熟しているものです。自分自身がヴァイオリンと悪戦苦闘する事により、母親はこの優れた教師の条件を一つクリアする事になります。そして、幼い子どもは親の真似をしたがるものです。親がヴァイオリンを弾いている事が、子どもが練習する動機付けの重要な要素となる訳です。
孔子も『其の子を知らざれば、其の父を観よ。』と述べています。「子どもは親を見て育つ」という事でしょう。大人が懸命に努力する姿を見て、初めて子ども達も努力することを学んでいきます。そして、ゆっくりとその才能を開いていくのです。つまり、子どもの成長の第一段階は親と共にあるといえるでしょう。
最後に鈴木メソードのスローガンを紹介いたします。
どの子も育つ 育て方一つ
どの子も育つ 親次第
どの子も育つ 先生次第
どの子も育つ 自分次第
どの子も同じ可能性を持っています。その可能性を存分に開花させてあげたいものです。
H15.06. 世界に一つだけの花
♪「No.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」♪
槙原敬之さんの作詞作曲による『世界に一つだけの花』が大ヒットしています。今年三月の当園の卒園式でも使わせていただきました。キャッチーなメロディーに、とても素敵な言葉がのせられ、人間一人ひとりを肯定的に捉える優しさに満ちた曲ですね。テレビやラジオ、園内でも毎日のように流れています。何度も耳にするうち、この歌は仏教の教えと合致する内容だということに気がつきました。
♪「名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた‥」♪
禅で云う「和顔愛語」、又は観音様の慈悲の心そのものです。
♪「世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい」♪
個々人の人生を、生命の輝きを、尊いものとして大切に扱う仏教の教えと、まるで同じです。
冒頭で引用した「‥もともと特別なOnly one」という部分は、お釈迦様がお生まれになった時に発されたといわれる『天上天下 唯我独尊』という言葉と同じ意味です。世の中には様々な人間がいます。いや、人間に限らず、様々な存在があります。しかし、一人として、ひとつとして、私と同じ存在はありません。似ているものがあるかもしれませんが、全く同じということは決してありません。私と全く同じ存在は、過去にもいなかったし、未来にもいません。だから、「私」という存在はかけがえのない存在なのです。『天上天下(世界の中に)、唯我独尊(かけがえのない私がある。そのことが尊い。)』なのです。
このような歌が大ヒットする背景として、スマップという大人気グループの存在が大きいのは勿論ですが、その一方で、日本人が古来育んできた仏教的思想観がこの歌の内容と合致して、多くの人々の共感を呼んでいるように思えます。
あなたも私も、みんなが「世界に一人だけの私」であり、尊い存在なのです。
H15.07. 一杯のお茶と園舎の四十九年間
茶道では一杯のお茶をいただく時に、まず軽くおしいただいてから飲みます。これは感謝の気持ちを示すものだそうです。この一杯のお茶が私の口に運ばれてくるまでには、多くの人たちの手を伝わり、また天候や伝統技術、更には機械や新しい技術開発など、数え切れないほどの諸縁を通り抜けて、今ここに一杯のお茶として私の前に存在しています。考えてみると、たった一杯の「この」お茶をいただくのは、二度とない瞬間なのですね。もしかすると、「この」一杯のお茶が私の前にあるのは奇跡に近いのかもしれません。そのすべての縁に感謝の意を込めて、お茶をいただくのです。
遂に先月末より園舎の解体工事が始まりました。四十九年の長きにわたって、沢山の子どもたちを育んでくれた園舎、ご苦労様でした。解体の前に、私達職員は園舎を天井から床にいたる隅々まで掃除をしました。これから解体される園舎に対して、せめてもの恩返しに、雑巾の一拭きひとふきに感謝の意を込めて掃除しました。その姿がなくなってしまう前には、精一杯美しい姿であって欲しかったのです。
雑巾で床を拭いていると、いろんな傷や落書きが目に入ります。沢山の子ども達がここで遊び、泣き、笑い、育っていったのですね。半世紀もの間、いろんな子ども達がこの園舎の中で成長していったのです。それは現在の園児のおじいちゃん達の代にまでさかのぼる事ができます。どの時代の園児にとっても、保育園で過ごした時は二度と戻らない時間です。時代の変容の中でも、旧園舎は変わらぬ温もりと優しさで子ども達を見守っていたのですね。このような多くの経験や思い出が刻まれた旧園舎と共に時を過ごすことができたのは、もしかすると奇跡に近いご縁だったのかもしれません。旧園舎の四十九年間すべてに心から感謝の意をこめて、床を磨きました。
旧園舎、四十九年間 本当にご苦労様でした。あなたの魂は、沢山の子どもたちの記憶と共に、新しい園舎へ引き継がれていきます。また新しい園舎で逢いましょう。
H15.08. 自分の身にひきあてて考える
先月二日、長崎市で、四歳の児童が十二歳の中学生に屋上から突き落とされて殺されるという、信じがたい事件が起こりました。遺族の方の悲しみはいくばかりでしょうか。私も保育者として、また親として、激しい憤りと悲しさを禁じえません。
お釈迦様は生命の尊さを非常に強調され、また、非暴力や不殺生を様々な脈略の中で説かれています。
「どの方向に心で捜し求めてみても、自分よりさらに愛しいものはどこにも見いだされない。そのように、他人にとってもそれぞれの自己は愛しい。」
(『ウダーナヴァルガ』五・十八)
「すべてのものは暴力に脅えている。すべてのものは死を恐れている。(他人を)自分の身にひきあてて、殺してはならない。殺させてはならない。すべてのものは暴力に脅えている。すべて(の生き物)にとって生命は愛しい。(他人を)自分の身にひきあてて、殺してはならない。殺させてはならない。」
(『ダンマパダ』一二九、一三〇)
「その他人(ひと)の身になって考えてみなさい!」大人が子どもをしかるときによく使う言葉です。お釈迦様も、まさにこの観点から非暴力・不殺生を説かれています。自分の痛みは誰も代わりに受けてはくれません。誰だって自分が一番愛しいのです。だから、故意に人を苦しめることはやめましょう。あなただって苦しむのは嫌でしょう。私も嫌です。そう、お釈迦様は説かれています。
自分自身を大切にするのと同じように、他人のことも大切にする。こんな単純なことを、みんなが自然に出来るようになれば、とても素晴らしい世の中になることでしょう。
(種元駿くんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。)
H15.09. 自分になる
スイカ組とバナナ組の園児たちは、毎週一回五分程度の坐禅をくんでいます。また、毎年夏に小学生が坐禅をくみにきます。子ども達がきれいに背筋を伸ばし、凛として坐っている姿は、とても美しく、こちらまで身が引き締まる思いがします。
米紙『TIME』(Aug.4.)によれば、アメリカでの瞑想(meditation)人口は一千万人を超えたそうです。習慣的な瞑想や坐禅が、免疫系の働きを活性化したり、ストレスを減少する効果があるという研究内容も紹介されていました。ビートルズがインドで瞑想を学んだのが1967年。以来、東洋の神秘的なイメージとしてとらわれてきた瞑想の効果が、最近では西洋医学方面からの研究により、合理的な形として西洋に受け入れられてきたようです。
姿勢を正し、静かに坐って息を整える。そうすると自ずから心が静まってきます。場所は選びません。公園でも台所でも、どこでもいいのです。特別な道具も要りません。椅子に坐ってもいいし、座布団の上でもいい。公園なら芝生の上でもいいのです。時間も気にすることはありません。五分でも、十分でもいい。気がついたら三十分も坐っていた!ってこともあるでしょう。
背筋を伸ばし、深い呼吸をすると、次第に心が落ち着き、自分自身になってきます。「無」になんて、そうそうなれはしません。頭の中では色んなことが駆け巡っていくことでしょう。「時間がないのに〜」とイライラするのも自分。つい心配事ばかり考えてしまうのも自分。眠くなるのも自分。楽しい思い出にひたってしまう自分。色んな自分と出会うと思います。そんな自分自身をすべて受け入れて、さらにゆったりと坐ります。それは、とても贅沢で実のある時間に感じることでしょう。
一日のうちに数分でも「自分が自分になる時間」を作ってみてはいかがですか。きっと人生が変わりますよ。
H15.10. △S =△q/T
この公式は,熱力学第二法則であるエントロピー(S)の変化量(△S)を示したものです。この一見無機質な公式が,実によく世の中の有様を表しています。
エントロピー(S)とは「無秩序性(乱雑さ)」を表す尺度のことで,熱力学第二法則とは,簡単に言うと「私達の日常生活において,常に無秩序な方向に(乱雑に)物事が進んでしまう」ということです。
例えば,掃除をしなかったら部屋は自然と散らかって(乱雑になって)いきますね。運動場で自由に遊んでいる子どもたちは,決して整列することなく,あちらこちらと無秩序な場所で遊びます。強制されなかったら,なかなか勉強や練習もしません。また,煙突から流れている煙も,必ずいつかは拡散してしまい,ついには見えなくなってしまいます。例を挙げればきりがありませんが,表題の公式が説明するように「宇宙もそこに住む私達も,いつも,無秩序で乱雑な方向に流れている」のです。
このような状態がいいか悪いかという議論は別にして,無秩序を規則正しい方向に向けるにはエネルギーが必要です。掃除をしないと部屋はきれいになりません。勉強しないと成績は伸びないし,練習しないと何でも上手になれません。当たり前のことです。しかしこの当たり前のことをするのにも,エネルギーが必要です。確かな意志力と行動力,そして(時間と共に増大する乱雑さに打ち勝つ)継続する力が必要なのです。
つまり,「夢を叶えたいなら,頑張んなきゃ!」ということです。自然に任せていると必ず乱雑な方向に向くわけですから,しっかりとした意志を持って頑張って努力しないと,自分が思い描く理想には近づけません。
物理学の公式から,こんな考察をしてみました。
H15.11. 新園舎へ
仮園舎中、皆様には大変ご迷惑とご不便をおかけいたしましたが、ようやく新園舎がその全貌を露わにしてきました。7月の合成写真に完成予想図を載せてはいましたが、予想図と実物とでは随分と印象が違いますね。まず存在感の大きさに驚きます。外見はちょっと異国情緒が漂っていて、中に入ると、木の暖かさが非常に穏やかな保育空間を形成しています。自然光はステンドグラスから射し込んで美しい光彩を放ち、太陽の恵みを描き出します。仏様の慈悲が燦々と降り注ぐ、そんなイメージの園舎です。
この新園舎が完成するまでに、どれだけ多くの人の手がかけられたでしょうか。三工設計の境さんと大谷さん、宅島建設の森野監督や寺井さん達とは、何度も会議を開き、検討に検討を重ねてきました。実際に工事に関わってくださった職人さん達は、暑い日照りの中でも、また毎日朝早くから夜遅くまで一貫して丁寧な仕事をして頂きました。本当にありがたく、頭が下がる思いです。
『徒然草』(第百九段)に、ある高名な木登りの達人の話があります。彼は弟子の指導に際し、弟子が高く危なげな所を渡っているときには何の注意も与えず、降りる際に軒ほどの低さにさしかかった時になって、初めて「心しておりよ。」と注意を与えたそうです。そして「あやまちは、やすき所になりて、必ずつかまつる事に候。」と言った、と書いてあります。
新園舎完成まであとわずかです。ここで気を抜くことなく、怪我などが無いよう、職員一同、より一層 丁寧な保育を心がけます。そして49年にもわたる旧園舎時代の「玉峰」保育の魂や精神を継承しながら、新しい園舎で、優しく温かな次世代に向けた保育を展開していきます。
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