たまみね園長,ひとこと・ふたこと・みこと

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園長先生から一言

毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。

H16.06. 新任の挨拶

五十年の長きにわたり玉峰保育園園長を務められた中村興正先生が、前月で園長職を辞されました。その後継として、新たに園長職を任ぜられました中村知見です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 新任の挨拶代わりに、私の保育に対する初心に関して述べさせていただきます。
 私の保育に対する初めての接点は、私が二十四歳の時に生まれた甥っ子の誕生でした。姉がおむつを替える姿や、つかまり立ちして歩くその赤ちゃんが転倒しないようにそっと後ろから手を差し伸べている姿を見て、とても驚いたことを覚えています。私は四人兄弟の末っ子で、その頃まで、赤ちゃんの世話をする親の姿をほとんど見たことがありませんでしたし、自分がおむつを替えてもらっていた記憶など全くありませんでした。それどころか、その頃の私は、高慢にも「一人で大きくなった」くらいに思い込み、自分を育ててくださった人たちのことを一考だにすることもありませんでした。しかし、その時に初めて現実を見たのです。非常に頼りない小さな小さな存在が、暖かい手の中に包み込まれて、大きな生命を咲かせようとしているではありませんか。本人に自覚はなくとも、いつも守られ、すべての世話をしてもらっています。そこには純粋な慈愛の心のみがありました。私はとてもショックを受け、自らを省みて、恥じ入りました。
 このことを境にして、私の子どもに対する考え方が変わりました。私が与えていただいた愛情を他の子ども達にも与えることが、私を育ててくださった数知れない方々に対する恩返しだと思いました。
 私の保育に関する原点はここにあります。出来る限り素敵な環境をつくり、慈悲に満ちた空間の中で、子ども達の成長を見守りたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

H16.07. 恩師と会って

先月の二十六日に前園長先生の「園長退任記念パーティ」を開催いたしました。歴代の保育士をはじめとして、およそ六十名の方々がご参加下さいました。園舎が新しくなってから初めて来園される方も多く、時世時節の感を新たにされていたようです。
中には私の担任先生だった方もいらっしゃって、「カズ君(私の旧名)、大きくなったわね。」なんて、こちらとしては何だかむずがゆいような会話もありました。先生から見ると、私がどんなに大きくなっても、園児の頃の印象のままなのでしょうね。あの頃のことを思い出すと、たくさんの友達と毎日よく遊んでいましたし、先生からも随分と怒られていました。抱っこしてもらったり、手をつないでお散歩したり、泥遊びをしたり、本当によく遊んでもらっていました。あの頃の遊びは、現在の当園にも脈々と受け継がれています。
振り返ってみると、あの頃教わったことが、今でもしっかりと私の中に植え込まれています。「お友達とは仲良くね」とか、「ズルしちゃだめよ」とか、「食事の前には手を洗ってね」、「ちゃんと、ゴメンナサイと言わなくっちゃ」とか。ごく当たり前のことなのですが、とても大切なことを数えきれないほど教わりました。Robert Fulghumが“All I Really Need to Know I Learned in Kindergarten.(『人生に必要なものは、すべて幼稚園(保育園)で学んだ』)”と、書いていましたが、まさにその通り!人生に本当に必要なことは、幼少期に学んでいるのですね。

H16.08. 薫習

玉峰保育園のホームページ(HP)開設以来、沢山の方々が訪ねて下さいました。その数、1日平均約50アクセス!本当にありがとうございます。
HPはインターネットを通じて世界中に情報を発信しています。当園のHPをみて、保護者をはじめ、海外からも感想メールを頂きました。何だか、急に世界が広がった気がして、まさにwww (World Wide Web)を実感しています。普段はあまり話す機会がない人達ともメールを通じての話が出来て、更に世界が広がります。
さて、当園HPのトップページでは私のオリジナルの曲を流していますが、 ロック・フリークの私としては、グルーブ感溢れるリズムに乾いたホーンをのせて、70年代のブリティッシュ・ロックシーンを模倣したつもりでいました。しかし、ある朝ラジオを聞いていると、まさに私のホーンの使い方と同じような曲が流れてきたのです。それはなんと、私が幼い頃テレビで見ていたヒーローものの主題歌でした。30年ぶりに聴くその歌と、最近私が作った曲の効果音が似ているのです。幼少時代に耳にしていた音楽は、しっかりと私の身になり、知らず知らずのうちに私の発想に影響を及ぼしていたのです。
仏教ではこのような事を「薫習(くんじゅう)」といいます。物に香りが移り染むように、習慣的に働きかけるものは、他のものに影響や作用を植え付ける、という意味です。
やはり、幼少時代の経験は非常に重要ですね。無意識のうちにその存在が現れてきます。保育園においても「常に良い環境を心がけねば!」と、志を新たにしました。

H16.09. うつくしさ

先日スイカ組さんが保育園に一泊する「お泊まり保育」がありました。保護者とはなれて一泊するのに、寂しいどころか、元気一杯!飯ごうでご飯を炊いたり、海岸での花火、みんなで温泉と、とっても楽しい二日間でした。
白浜海岸は凪ぎでとても静か。空は台風16号接近の影響か、非常に美しく、形容しがたい夕暮れの色合いをかもし出していました。当園のホームページにもその風景を掲載していますが、まるで有名リゾート地のような雰囲気です。私たちが暮らしている町が、こんなにも美しいとは、何だかとても不思議な気分になりました。
日常生活や見慣れた景色が、フッと違って見える事がありませんか。いつもと同じはずなのに、全く違った風景に映る。そんな時があります。私も厳しい禅寺での修行中に、世の中が全く違って見える経験がありました。雪が吹きつけるなか、凍り付いた雑巾を持って掃除をしているときです。フッと見上げると、目に映る世界全体が輝いて見えました。この世の中があまりに美しくて、涙があふれ出してきたのです。
元来この宇宙全体は何も隠す事なく存在しています。それをどう見るかは私たちの心しだいです。霧で覆われた心からは、霧で覆われた世界が見えます。澄んだ心には、澄んだ世界が映ります。
子ども達の屈託のない楽しそうな笑顔と、澄み切った空気が、あの美しい空と海をつくり出していたのでしょう。私もとっても幸せな時間を過ごさせてもらいました。

H16.10. 災難をのがれる妙法

今年は非常に極端な気象が続きました。桜の花が例年より長く咲いていたのは良かったのですが、その後の長雨、猛暑、台風と、まれに見る異常気象が続きました。これも温暖化による気象条件の変化が原因でしょうか。映画The Day After Tomorrowが空言ではなくなってきそうですね。
さて、江戸時代の禅僧 良寛さんは、地震にあった知人にあてた手紙の中で、災害の大変さをねぎらい、さらに次のように書いています。
  『しかし災難に逢う時節には
   災難に逢うがよく候、
   死ぬ時節には
   死ぬがよく候。
   これはこれ災難をのがるる妙法にて候。』
いついかなる災難が訪れたとしても、慌てふためいていたずらに嘆き悲しむのではなく、現実をしっかりと受けとめて、なすべき事をなしてゆく姿勢こそが、災難に打ち勝つ道だと言われているのでしょう。これは決してニヒリズムではなく、良寛さんの生と死に対する凄まじい覚悟が表れているように思います。イギリスの名首相だったチャーチルも「恐れは逃げると倍になるが、立ち向かえば半分になる」という言葉を残しています。
 我々はなかなかそのような心境に達する事は難しいですが、日々の生活の中で現実を直視し受け止めていく事の大切さ、それが平穏な日常であれ、悲しみの中であれ、天変地異の時であれ、いかなる時にも「平常心」をもって自分自身の人生をしっかりと生きていきなさい、と教えて下さっているように思います。

H16.11. 祈り

玉峰寺の朝は、早朝五時の坐禅から始まります。朝の訪れを告げる暁鐘が鳴り終わると、本堂で読経し、掃除をします。凛とした朝の始まりです。
 私は朝の坐禅の中に「祈り」をとり入れています。身近な人達の顔や名前を思い浮かべ、その人達のその日一日の健康と幸せを願って、毎日祈りをささげます。玉峰保育園の全園児や全職員に対しても毎朝祈りをささげています。
 「私があなた方を愛するように、互いに愛し合いなさい」という有名なキリストの言葉があります。私がとても好きな言葉の一つです。神様の慈愛の眼をもって人に接することが出来たら、何と素晴らしいことでしょう。穏やかな朝日に包まれて坐禅をしながら、私なりの精一杯の愛情で祈っています。祈ることによって具体的に何かが変わっていくのかはよく分かりません。しかし、祈るという一方的にみえる行為が、相互作用を及ぼすような気がするのです。
 先月二三日に発生した新潟県中越地震の被害は、想像を絶するものでした。メディアに流れる映像を見るたびに胸が痛みます。この遠く離れた地から、何が出来るのでしょうか。私はただ佛様に祈ることしか出来ませんでした。無力感を感じながらも、被災者の方々の一日も早い平穏な日常への回帰を祈ります。

H16.12. 静かな心

十二月八日はお釈迦様がお悟りをおひらきになった日です。
 二千五百年前、インドのカピラ城の王子としてお生まれになったお釈迦様は、二十九才で王宮を捨てて出家されました。その後六年間の激しい修行を経て、十二月八日 菩提樹の下で 坐禅をくんで悟りをひらいたと伝えられています。
 禅宗ではお釈迦様がお悟りをひらかれた形である「坐禅」を重んじています。坐禅はまず姿勢を調えることから始めます(調身)。そして呼吸を調えることによって(調息)、自ずと心に静寂が訪れる(調心)とされます。ただぼんやりと坐っているのではなく、意識はしっかりと集中して、静かに坐っているのです。
 さて、お釈迦様は私たちの心を次のように喩えて説かれました。
 「ここに大きな器があって、水がいっぱいに満たされていると考えなさい。この水の表面は綺麗で澄んだ状態のときに、すべてのものをありのままの映し出すことが出来る。これがそのまま、あなたの心である。」
「もし、この水面に風が吹いて波が立ったとき、この水はものをありのままに映しだしことが出来るであろうか。この水が煮えたぎったとき、ものは映し出されるであろうか。同じように、塵や埃、水藻やぼうふらが湧いてしまったとき、水の水面はものを映し出すことが出来るであろうか。」
 「あなたの心も同じである。心と身体を正しく整え、自己の内なるものを、澄んだ綺麗な状態にしなければならない。」
「本来、あるがままにものを見、聞こえるままに聞き、匂い、味わい、感じるのである。あなたの心は、すべてをありのままに映し出すことの出来る水の表面なのである。」
 坐禅によって、心をこのような静かな状態に導きます。みなさんも坐禅をくんでみませんか。きっと人生が変わりますよ。

H17.01. はなてば手にみてり

新年あけまして おめでとう ございます。
 昨年は玉峰保育園にとって、重要な一年でした。まずは五十年の長きにわたり園長を務められた中村興正先生が引退され、園長職の世代交代がなされました。また、園舎が長崎県建築設計事務所協会から「奨励賞」をいただき、当園HPはID Website Contestの「がっこう」部門で全国一位に選んでいただきました。大きなうねりがあった一年でした。
 さて、道元禅師が著わされた『正法眼蔵』の中に「はなてば手にみてり」(『正法眼蔵・辧道話』)いう言葉があります。私たちはよく、「これが欲しい!」といってギュッと固く手に握って、放そうとしません。しかし、それでは持てるものは限られてしまいます。それよりも手を開いて、掌を空っぽにしてしまうのです。そうすると何でもつかめる自由な手になるではないですか。手の中を空っぽにしてしまうと、たくさんのものが手に触れる事ができ、手に収まります。私たちの頭の中もそうです。「こうしなければ!」「こうあるべきだ!」なんて固執していると、どうしても凝り固まってしまいます。
 子ども達の純粋さが羨ましいですね。哲学者・西田幾太郎が「凡て最初の感覚は小児にとりては直ちに宇宙そのものでなければならぬ」(『善の研究』)というように、初めて体験するものを先入観なくそのもの自体として見ることができますから、彼らの感性にそのまま響いているようです。先入観や固定観念なく、目にするもの凡てをそのままに見ることが出来たら、本当に素晴らしいですよね。私達も子ども達から教わる事が多いです。
 今年も職員一同、子ども達とともに成長し、保育の充実に邁進してまいります。
 本年もよろしくお願い致します。

H17.02. MOTHER’S LITTLE HELPER

 英国のロックバンド「ローリング・ストーンズ」が、今年3年ぶりのワールドツアーに出るそうです。ミックもキースも既に還暦を超えているのに、元気ですね。懐かしくなって、久しぶりに彼らのレコードを引っ張りだして聴いてみました。 
 “Mother’s Little Helper”という曲が流れてきて、「あれ?」って思いました。「歳をとるのって嫌だわ。最近の子ども達って、私達の頃と全然変わってしまって…。ドクター、お願い、薬をちょうだい。もう、やってらんないの!」(部分訳)なんて、日々の生活に不満を持つ母親の嘆きが、ミック流のシニカルな視線から歌われています。これは1966年の作品なのですが、現代でも全く遜色のない内容です。「昔は良かった。今の若い人達は!」なんて、いつの時代でも変わらないものでしょうからね。そういえば古典にも、「古を好み…」(『論語』7-19)とか、「なに事も、古き世のみぞ…」(『徒然草』22段)とか書いてあります。いつの世も古(いにしえ)を懐かしみ愛しく思う気持ちが強くあるものですね。
 古を慕うのはいいのですが、昔と今とを比較して嘆き悲しむのはどうでしょう。過去は決して変化する事なく存在し、「今」は否応なくダイナミックに変化し続けているのです。これらを対等に比較する事は非常に難しい事だと思います。
 お釈迦様は「過去を追わざれ、未来を願わざれ。過去は既に捨てられ、未来は未だ至らず。… 今日なすべき事のみを熱心になせ。…」(『賢善一夜の偈』)と説かれました。過去でも未来でもなく、今日を真剣に生きなさいと仰っています。私達が生きているのは「今」です。過去にすがらず、未来に過大な期待をせずに、「今」という二度と戻らない瞬間にしっかりと向き合って、日々刻々と真剣に生きていきたいものです。

H17.03. 希望に満ちて

当園を卒園した高校生に保育園の頃の思い出を尋ねてみると、あまり覚えていないと言っていました。『こんなに楽しい思い出も忘れられてしまうものなんだな〜。』と、少し寂しい思いがしました。
 しかし自分の記憶と照らし合わせてみると、必ずしも幼少の頃の思い出をしっかりと覚えているわけではないようです。自分の子どもが生まれ、その子が成長していくにつれて、自らの幼少時代をフラッシュバックして思い出しているようです。当時の友達や大人達の笑顔、大好きだったおもちゃ、よく遊んだ広場の木々や緑や風の匂い、叱られた時、ほめられた時、楽しかった時などなど、それらは断片的にだったり、時には一連のものとして思い浮かんできます。
 今の園児達が大人になった時、玉峰保育園での生活をどういう風に思い出すのでしょうか。それが笑顔につつまれている思い出だったら嬉しいです。それともう一つ、私がとっても大事にしていることがあります。それは子ども達と一緒に、毎週佛様の前で坐禅をしてお経をよんだことです。もしかしたら、思い出としては地味なものかもしれませんが、あれは私がみんなに与える事が出来る最大のプレゼントです。子ども達が佛様に手を合わせるとき、いつもそこには柔らかな光が満ちあふれていました。それはこれからも、ずっとみんなを優しくつつんでいてくれます。もしもみんなの思い出から消えてしまっても、いつも穏やかにつつんでくれています。
 3月はお別れの時です。卒園していくみんな、元気でね。君たちが歩くところは、いつも希望に満ちています。新しい学校や土地で、たくさんのお友達を作って下さい。たくさん遊んで、たくさん学んで下さいね。新しい環境で過ごす君たちに幸多きことを園長先生はいつも祈っていますよ

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