園長先生から一言
毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。
H17.04. 春光にて
進級入園された園児や保護者の皆様、おめでとうございます。
春光うららかな好季節、穏やかな春風の中を子ども達は精一杯駆け抜けています。広い園庭で泥んこ遊びをしたり、おままごと、ブランコなど、自由に遊び回っています。外に出ては菜の花を摘んだり、お花見をしたり、春の陽気を存分に楽しんでいるようです。
ある小学校で理科の時間に先生が「氷がとけたら何になりますか」と質問したら、一人の子が「氷がとけたら春になる」と答えたそうです。素晴らしい答ですね。学問的には氷がとけると水になるが答なのでしょうが、「春になる」という季節感は、そういう体験を通していないと出てこないものです。
考えると自然は不思議なものです。天候不順だろうが天変地異があろうが、その時期になると花を咲かせ、実を結びます。どんなに科学が発展しても、この世界の不思議さは解明されることはないでしょう。この世界には、まだまだ未知の部分が数多く存在しています。
子どもの成長にとって、体験に勝るものはないと思います。子ども達が自然に触れ、水遊びや泥遊びをし、季節の変わり目にフッと触れた時に、彼らは本や映像や言葉を通す以上のものを感じとっていることでしょう。私たちの小さな尺度で計るよりも、もっと大きなものを子ども達は感じ、学んでいます。
保育園では子ども達にたくさんの体験をさせたいと思います。体験こそが真の知恵を与えると思うからです。
H17.05. 竹の子
春の訪れに竹の子が顔を出します。園児達もお散歩に出かけて竹の子を見つけてきました。今月の合成カレンダーも、グングンと成長する子ども達のイメージを竹の子に重ねて作成しました。
江戸時代の高僧「良寛さん」にも竹の子にまつわるエピソードが残されています。
ある年のこと、良寛さんが住んでいる草庵の床下に一本の竹の子が芽を出して、やがて床板にまでとどいてしまいました。かわいそうに思った良寛さんは、床板をはがして「さあ、伸びなされ。」その竹がどんどん生長して天井の高さまでくると、「大きくなれ、大きくなれ。」と、今度は天井や屋根までも外してしまわれました。良寛さんは、雨が漏っても風が吹き込んでも平気で、その竹を愛でて暮らされたそうです。
とても素敵な話ですね。良寛さんののんびりとした、そして広大な慈悲の気持ちが静かに伝わってくる話です。こんな心で子ども達に接することが出来たら幸せですね。「私が!」「僕が!」なんて自己中心的な物差しをはずして、ただ他のためにのみ心を砕き、その報償を求めない。子育てに関しても、無理に強要することなく、その子の成長を辛抱強く、そして暖かく見守ってあげる。今の世の中にとても大切なことを教えて下さるエピソードです。
H17.6. さがしもの
「えんちょうせんせい、わたしのぼうしがないの!」
泣きそうな顔をした園児が事務室に飛び込んできました。すごく心配そうな顔をしていましたので、私もその子と一緒に帽子を探し始めました。
私は子どもの頃、探し物がとても苦手でした。大人からは「ほら、そこにあるでしょ。」と言われても、どうしても探し出せないことがよくありました。一生懸命に探しているつもりなのですが、本当に見つけられないのです。それこそ、泣きそうになって探したものです。
今になってみると、子どもの目線が大人のそれよりを低いために視野が狭くて、見つけることが出来なかったのでしょう。子ども心に何だか惨めな思いをしながら、必死に探していました。あの時の心細くて、追い立てられるような、胸が苦しくなるような感情を、今でも思い出すことがあります。
大人になってみても、まだまだ探し物が苦手のようです。それは「もの」というより、「大人としての分別」なのでしょうが…。多様な価値観が交差する現代社会では、一つの事を決定することが非常に困難な場合があります。いつの日か大きな視野に立って物事を単純に眺められる日が来るのでしょうか?
「帽子、あったよ!」冒頭の園児の帽子を探しあてたとき、その子はとっても嬉しそうな笑顔で「ありがとう。」って言ってくれました。誰しも探し物が見つかったときには、とっても幸せな気分になるものです。
H17.07. 天の恵み
今年の梅雨は思ったように雨が降りませんでしたね。やはり梅雨の時期にはしっかりと雨がふってくれないと困りますね。園児達が幼い手で一生懸命に植えたサツマイモの上に、時折待望の雨が落ちると、いつも以上に雨音が弾んで聞こえます。天からの恵みの雨に、改めて有難く思います。
先日子ども達が大きな画用紙を広げ、大きな筆とたっぷりの絵の具を使って、自由にお絵描きをしていました。何をイメージして描いているのか分かりませんが、ちょっと見には書の大家が書いたような、力強くて自由な線を描いていました。白い画用紙の上の原色の曲線は、とても存在感があり、私も思わず立ち止まって見ていました。真剣な表情で、自分がすっぽり入ってしまうような大きな画用紙に、とっても素敵な絵を描いていました。
そういえばスペインの天才芸術家ピカソは、晩年になると子どものような絵を描いて、「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまでくるのにずいぶん長い間かかったものだ。」と云っているのを読んだことがあります。
子どもたちが描く自由な線は本当に素晴らしいものです。まさに天からの恵みですね。
H17.08 盆踊り
先日の「夏祭り」には みなさんご参加くださいまして、誠に有り難うございました。外はあいにくの雨でしたが、会場は熱気につつまれて楽しかったですね。浴衣を着た園児たちが盆踊りを踊る姿は、とても可愛かったです。
その夏祭りに参加してくれたイタリア人のトーマスから「どうしてお盆には盆踊りを踊るの?」と尋ねられました。
盆踊りの歴史は鎌倉時代にまで遡ります。踊り念仏などの宗教的要素の影響を受けて派生し、その後地方独自の特色をもって継承し今日に至っています。ある地方では、盆踊りとはお盆に帰ってきた先祖さんと一緒に夜通し踊る行事なのだそうです。
亡くなった祖先と共に踊るという慣習は、日本のみならず世界でも行われていることで、民族や地域、伝統よって独自の様式を持っているようです。(少し意味合いは違いますがStingもThey Dance Alone (Gueca Solo)という曲を書いていますね。)
もうすぐお盆です。日本ではお盆にはご先祖様をお迎えするという美しい伝統があります。一緒に一晩中踊ることは出来ませんが、ご先祖様をお迎えする用意をして、お寺参りやお墓参りをいたしましょう。
H17.09 対話
先日「禅とキリスト教懇談会」に出席してきました。1965年の第2ヴァチカン公会議後、世界中で異宗教間の対話が始められましたが、日本を除くすべての国で対話は断絶してしまいました。しかし、唯一日本の「禅とキリスト教懇談会」だけが存続し、今回で39回目を迎えます。現在では禅宗とキリスト教のみに留まらず、「神道」「浄土系」などの神職・僧侶も参加され、教授などの大学関係者や、教会や寺院で聖職者として社会的にも第一線で活躍されている方々など、錚々たる顔ぶれがそろっています。
基本的にこの会の雰囲気はとても穏やかです。毎回の食事は全員で一緒に頂いて、片付けは当番制です。年齢・性別・地位に関係なく、皆が平等に扱われます。朝は坐禅で始まり、それから様々な宗教を代表しての卓話や質疑があり、夕方はミサに参列します。異なる宗教の宗旨に則って皆真剣に参加します。議論となるとかなり高度な内容で白熱しますが、異なる宗教の教えの中から「真理」を見つけ出そうと、全員が真摯な態度でこの会に臨んでいます。
世界中でなお止むことのない争いや戦争。これらを平和な世界へと導くためには、異文化や異宗教間での「対話」が必要です。じっくりと相手の話を聞き、自己と照らし合せ、「愛」や「智慧」を普く与えていく。私たちの日常と同じですね。神も佛も平安を尊ばれます。素晴らしい世の中をまずは身近なところから、親子や夫婦の間から、私たちから作っていきましょう。
H17.10. 思いやりと信頼
南国口之津にもようやく秋の気配がしてきました。秋はいいですね。食べ物はおいしいし、心身ともに活動が活発になります。
先日の保護者会にはたくさんの方のご参加を頂きありがとうございました。全体会では 第一保育短期大学の甲斐田良馬教授にお越しいただき、「幼児体育」の観点から「思いやり」と「信頼関係」をキーワードにしてお話を頂きました。これらは自分と相手の二者がいて初めて成り立つものです。自分一人の思惑では成り立ちません。相手の対場を理解し、そこに「思いやり」という真心を添えていくと次第に「信頼」が芽生えてきます。子どもと大人の関係も同様ですよね。一緒に遊んでいる時も、叱る時も「思いやり」があって、初めて心が通い合います。口先だけの中途半端なものではなく、全身から精一杯の愛情を込めて相手に接すると、信頼関係が作れます。
もうすぐ運動会です。子ども達と保育士の信頼関係が織りなす数々の競技や演技をお楽しみ下さい。
H17.11. 見守る優しさ
私の娘がまだ3歳の頃、突然家から姿を消したことがあります。家族みんなで青くなって探していると、傘を持って肩からポシェットをさげ、買い物袋を手に持って、娘が上機嫌で帰ってきました。なんと丸畑まで一人で買い物に出かけていたのです。しかもしっかりとお菓子とヨーグルトを袋に入れて…。その買い物袋の中には「未払い」の文字が書かれたレシートが入っていました。母が急いで丸畑へ行き支払いを済ませると、店員さんがその時の様子を話してくれたそうです。多聞天
娘は上機嫌でお店に入ると、自分のお菓子と家族のヨーグルトをカートにいれ、きちんとレジに並んだそうです。そしてニコニコしながらおもちゃのお金を出しました。私の娘だと気がつかれた店員さんは、そのお金を受け取って「はい、ありがとう。」と言って、『未払い』と書き込んだレシートとおつりの代わりにそのおもちゃのお金を袋に入れてくれました。そして、娘の帰路を心配して、そっと後をつけ、安全なところにたどり着くまで見届けてくれたそうです。
私はその話を聞き、感動して胸がいっぱいになりました。娘の安全を守って下さった事と、更に娘の自立的な行動を何も言わずに見守って下さった事に対してです。
私たち大人は、先回りをして子どもの世話をすることがあります。しかし時には、その事が子どもの自立心や自尊心を損なってしまう場合があります。勿論子どもの安全な環境を確保する事は大人の責任です。その上で、子どもが「やってみたい」と思う心を、大人が手を出す事なく温かく見守る事が出来るでしょうか。子どもの伸びようとする心を、我慢強く見守るとこが出来るでしょうか。日常の保育の中で、私はよく自問自答しています。
H17.12. 純粋な目
11月はHOIKU WEEKがあり、ヴァイオリンやサックス、ピアノの演奏を生で聴く機会を設けました。また町でも文化祭が開催され、「芸術の秋」にふさわしい月でしたね。
子どもたちも絵を画いたり、粘土で造形したり、ビーズで幾何学模様を描いたり、切り絵や落ち葉を使ってみたり、創造することが大好きです。子どもたちが集中して机や画用紙に向かっている姿をのぞき込むと、小さな手から本当に素敵な作品が生まれています。
子どもたちの発想は自由です。とんでもない色を使って不思議な線を画いてみたり、おもしろい形を作り出したりします。色んな色でグルグルとたくさんの丸を書いている子がいて、何だろうなって思っていると、「園長先生!風!」って教えてくれました。画用紙いっぱいに広がったその「風」の勢いは、まさしく冷たく吹付ける秋の風そのもので、とても感動しました。「すごいね!上手だね。」って頭をなでると、少し照れくさそうにしていましたが、ニッコリと笑顔を浮かべて誇らしそうな顔をしていました。
子どもたちは私たち大人が見えなくなってきた角度から純粋に物事を見ることが出来るようです。私たちが先入観のもとに見過ごしているものを、しっかりと捉えています。そしてそれらを表現することも出来ます。とても素晴らしいことですよね。
さて、間近に迫ったお遊戯会で子どもたちは、どんな作品を見せてくれるのでしょうか?大人の先入観をなくして、子どものような純粋な目で見て下さい。とっても素敵な舞台になると思いますよ。そしてその感想を子どもたちに伝えてあげて下さい。舞台以上に素敵で温かい会話になると思います。
H18.01. めでたさ
あけまして おめでとう ございます。弥勒菩薩
今回の冬は12月から雪が降るなど、早い時期から冷え込みましたね。寒い気候が続く日に温かい日差しが射し込むと、とても気持ちがよく、日光のありがたさを思います。私が北陸・金沢の地で修行していた時にも、春先に雪が溶けていき次第に陽射しが暖かくなってくると、何ともいえない楽しい気分になり心が躍りました。
子どもたちの笑顔も暖かな太陽と同様に、心を和やかにしてくれます。昨年もたくさんの笑顔を見てきました。保育園に一歩入ると、そこにはかわいい笑顔があふれています。子どもたちの笑顔を見るたびに、まるで修行時代に春の訪れにふれた時の温かさを感じます。今年一年も、もっと子どもたちの笑顔があふれる保育園にしていきたいと思います。
さて、「宿なし興道」として有名な禅の大家、故 澤木興道老師は、正月に弟子が「明けまして おめでとうございます。」と挨拶をすると、「何がめでたいんじゃ!」と詰問してきたそうです。禅僧らしいエピソードですね。
さあ、何が「めでたい」のでしょうね。私の答えは先に書きましたが、その問いには千差万別の答えがあると思います。みなさんもどうぞ考えてみて下さい。
H18.02. 静かなよろこび
先日お茶会を催しました。着物を着たスイカ組の子たちが、保護者を前に丁寧にお点前をします。薬師如来
子どもたちは美穂先生について二年間お茶のお稽古をしてきました。美穂先生が『お茶室だより』のなかで何度かふれているように、茶道を通して日本文化や伝統、そして茶の心を教わりました。
禅の大家 鈴木大拙老師は『禅と日本文化』の中で次のように記されています。「禅の茶道に通うところは、いつも物事を単純化せんとするところに在る。この不必要なものを除き去ることを、禅は究極実在の直覚的把握によって成しとげ、茶は茶室内の喫茶によって典型化せられたものを生活上のものの上に移すことによって成しとげる。茶は原始的単純性の洗練美化である。」
子どもたちと保護者が言葉を交わすことなく、黙々と茶を点て、その茶をいただく。このような行為がくり広げられる茶室はとても素敵な空間になっていました。子どもたちは保護者のために美味しいお茶をいただいてもらおうと、心を込めてお茶を点て、その心がこもった尊き一碗のお茶を保護者がありがたく頂く。親を愛する精一杯の思いや子の成長を喜ぶ気持ちなど、言葉はなくても、それを超えるものが通い合っていたと思います。そこに簡素な中にも言葉では表しがたい静かなよろこびがあったのではないでしょうか。
H18.03. 大きな力
遺伝学的にみると、一組の両親から生まれる子どもには七十兆通りの組み合わせがあるそうです。私たちがこの世に生まれてきたのは、両親がこの大きな世界の中で運命的に出会う稀な確率の上で、更に七十兆という莫大な可能性のなかから選ばれてここに存在していることになります。そう考えると、私たちという存在は極めて貴重な、奇跡のような存在なのだと感じます。金剛力士
更に私たちの遺伝子に組み込まれた膨大な生命の設計図は、非常に精巧なはたらきで私たちの身体を生まれたときから形成しています。呼吸一つ、髪の毛一本でも、大自然の不思議な力のなかで生かされているのですね。
三月はお別れの季節です。つい最近まで赤ん坊だった子どもたちが、もうこんなに成長しました。子どもたちの生育をみるたびに、私たちを包み込んでいる大きな力に生かされていることに畏敬の念を禁じ得ません。卒園していく子どもたちにも、お寺の観音様や佛様の前で手を合わせた静かな敬虔な心をずっと胸にとどめていてもらいたいと思っています。
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