たまみね園長,ひとこと・ふたこと・みこと

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園長先生から一言

毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。

H18.04. キラキラ

進級入園された園児や保護者の皆様、おめでとうございます。
 春光うららかなこの季節、穏やかな春風の中を子ども達は楽しそうに駆け抜けています。菜の花を摘んだり、お花見をしたり、春の陽気を存分に楽しんでいます。園庭には新しい大型遊具「たまみんランド」も設置されました。園舎内にもたくさんの遊びや創造の場が確保されていて、春の暖かな光にかわいいおもちゃ達も踊りだしそうです。保育園には安全で楽しい遊びの空間がいっぱいです。IMG_9321.JPG文殊菩薩 
 今年度より保育の質をより高めるために「チーム保育」を行います。多くの職員が子どもたち一人一人に接し、目を配れるように、職員全体がしっかりと連携をとって保育にあたります。安全と安心を最優先に考え、子どもたち好奇心や自主性を受け止めてあげられるよう、全員で工夫をしていきます。もっともっと楽しい保育園になっていきますよ!
 さて、大人のみなさんは、自分が子どもの頃にどんな遊びに夢中になったか覚えていますか?幼なじみの友達の顔を思い出してみて下さい。子ども達は自分が好きな遊びをする時に、夢中になって取り組みます。鼻水をたらしながら夢中になる姿は、私たちの幼少時代と同じですよね。
 時代が変わると環境が変わります。環境が変わると条件が変わってきますから、見た目にはみなさんの幼少期とは少し異なる姿に見えるかも知れません。でも、子ども達のキラキラとした瞳の輝きは今も昔も変わりません。私たちは、その目の輝きを大事にしていきます。
 私たち玉峰保育園職員二十三名、四十六の瞳で、この一年、子どもたちを温かく見守っていきます。今年度もよろしくお願い致します。
 

H18.05. 美味しいお茶

新茶の季節になりました。寒い冬の間にしっかりと養分を貯えて、春の芽生えとともに成長した若葉は、みずみずしく甘い香りがします。
 美味しいお茶を飲むときに、私の禅の師である故・鈴木格禅老師のことを思い出します。大学院での師のゼミは、いつもお茶とお菓子を頂きながらおこなわれました。生徒がお茶をいれるのですが、師はよく「お茶は美味しくいれなくてはいけない」「お茶を成仏させねばならない」と厳しく仰っていました。お茶の命を全うさせる。つまりそのお茶本来がもつ味を最大限に引き出して最高の状態でありがたく頂く、ということでしょう。実際にそのゼミで出されるお茶は、適度な温度で、香り高く、とても美味しい一服でした。
 昨今、命の大切さが切に訴えられています。仏教でいう「命を大切する」ということは、そのものが持つ命の輝きを最大限に引き出すことです。その命を尊重し合うことです。すべての生き物にとって自らの生命はかけがえのなく尊いもの。他の命を自分の命と同様に尊重し、感謝の念を持って接していく。シンプルですが、素敵な世の中を作る大切な教えですね。
 新茶の甘い香りを味わいながら、師のゼミで出されたお茶の美味しさを思い出しました。
 

H18.06. 遊び場

新緑が美しく、春の陽気が気持ちいいですね。こんな季節にはやっぱり外遊びが一番です。鼻歌を歌いながら、暖かい太陽の光を浴びて思いっきり遊びます。子どもたちの笑い声が園庭中に響き、道行く人たちに元気な挨拶が交わされます。春光に負けないような笑顔は、世の中をもっと暖かくしてくれます。春は本当に素敵な季節ですね。IMG_9324.JPG持国天 
 最近の報道では、幼児が犠牲になる事件が多くて胸が痛みます。社会全体で守るべき子どもたちが何故標的となり、事件に巻き込まれなければいけないのか、激しい憤りを感じます。そんな事件が多いからか、または少子化のせいか、はたまたTVゲームのせいか、最近は外で遊ぶ子どもたちが少なくなったような気がします。
 当園では防犯のために、警備会社による24時間態勢の園内外の監視カメラの設置や、防犯講習、南島原警察署との連携など、考えうる防犯対策をとっていますが、完全というものはありません。かといって、子どもたちが安心して思いっきり遊べる場所がないのは、あまりにもかわいそうです。私たち大人が安全で住みよい社会を作るという志を同じくして、大人にとっても子どもにとってもよりよい社会を形成しなければいけないと痛感しています。
 今年の三月に大型遊具「タマミン・ランド」を設置し、六月からは大きな砂場も登場します。春の陽射しのような子どもたちの笑顔がいつでも咲いている、そんな楽しい遊び場であってほしいと願っています。
 

H18.07. 草の種

今年は春の陽気が長くて、気持ちがいい日が多かったですね。そして日本の五つ目の季節とも言うべき梅雨が来ました。災害が起こるのは困りますが、雨の季節もまたいいものです。IMG_1966.JPG義渕和尚 
 さて、自然が潤ってくると植物の成長が著しく、草花が生命力をみなぎらせています。先日園舎裏の芝生の草取りをしていた時のこと。まだ小さい草を一本一本抜いていたのですが、途中パチパチと何かが体にぶつかってきました。それが結構痛いぐらいの勢いでしたから、小さな虫が嫌がって私に襲いかかってきたのかな、と思っていました。それでも草を抜くたびに何度も顔に手に無数の攻撃を受けるものですから、『こいつの正体をみてやろう』と体をよく見てみますと、赤い実をした草の種だったのです。
 修業時代以来、よく草取りはしていましたが、草の種に攻撃を受けたのは初めてでした。痛いぐらいのその勢いに、雑草の生命力の強さを感じました。「種の保存」という本能が、自分の子孫を残そうと、力強く種を飛ばしているのですね。しかも、(私の草を刈るという行為によって)今まさに自分の命が失われるという その刹那に多くの種を飛ばすわけですから、その強靭なる生命力に畏敬の念さえいだきます。
 道元禅師も「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」(『正法眼蔵・現成公案』)と仰っています。草の生命力に恐れ入りながらも、草取りを続けました。
 

H18.08. オバケの姿

夏になると暑さをしのぐためか、肝試しや怪談話がはやります。私も学生時代は面白がってよくやったものです。IMG_1961.JPG静香 
 さて、日本の怪談に登場する伝統的「幽霊」というと、共通する特徴があるのだそうですね。即ち、①髪が長くて、②両手をちょいと前に出して、③足がない。『なるほど、日本の伝統的幽霊には格式もあるんだな〜』と妙に感心していると、実はこの姿にはそれぞれに意味があるのだそうです。
 まず「①髪が長く」後ろへひいているのは、過ぎ去ったことを『こうすればよかった』『ああしなければよかった』と悔やんでばかりいる姿。次に「②両手をペロンと前に出して」いるのは将来に対して『ああなったらどうしよう』『こうならなかったら困る』と取り越し苦労をしている姿。だから、心が過去や未来にばかりとらわれていて、心ここにあらずで、足が地に着いていないから「③足がない」のだそうです。
 ハハハッ!なかなか面白いなぁ。なんて笑っていたら、「あれ?これって私のこと?」と思い、どんな怪談話よりもゾッとしました。過去の失敗や未来の心配事にばかり気を取られてアタフタしている、どうも足を地につけて今をしっかりと生きていない。「ああ、オバケの姿は私の姿だったのか。」と気付かされました。
 お釈迦様は「過去を追わざれ、未来を願わざれ。過去は既に捨てられ、未来は未だ至らず。 今日なすべき事のみを熱心になせ。誰か明日の死を知らん。」(『中部教典』)と説かれています。過去でも未来でもなく、今を真剣に生きなさいと仰っています。「今」という二度と戻らない瞬間にしっかりと足をつけて、オバケにならないように気をつけましょう。
 

H18.09. 大発見

私が生まれて初めての大発見をしたのは、小学校1、2年生の頃です。IMG_1965.JPG十大弟子 
 まだ建ったばかりの真新しい白い校舎に太陽が燦々と降り注いでいて、地面には私の姿を形どった濃い影が伸びていました。身体を揺らしてみると影も同じように揺れ、頭をかくと同様にポリポリとやります。しばらくは自分の分身とジェスチャーゲームをして遊んでいたのですが、校舎の影が伸び始めると、私の影の一部を隠し始めました。それで今度は校舎の影を仲間に入れて、かくれんぼを楽しんでいたのですが、ついに私の影がすっぽりと校舎の影に埋もれてしまいました。『あれ?』と思って振り返って見上げてみると、太陽が見えません。自分の影が校舎の影から首を出す位置に移動すると、そこからはまぶしい太陽が見えました。一歩進んでは振り返り、一歩下がっては振り返っているうちに、私は重大なことに気がついたのです!「自分の影が消えてしまったら、そこからは太陽は見えないんだ!」幼い私にとっては大発見です。何度もステップをきざんでは、その事実を確認しました。そして、誰も知らないものすごい発見をしたような誇らしい気持ちになりました。今でもその光景を鮮明に思い出せる程の重大な発見だったのです。
 子ども達にとって毎日は新鮮の連続です。特別な処に行かなくても、日常の中に好奇心を刺激する不思議が溢れています。『?』と思ったことには、大きな目を更にまん丸にしてジッと見つめています。時間をたっぷりとかけて、この世の不思議と美しさを眺めているようです。
 大きくなって時間に追われているばかりの大人たち。子どもの頃のように、ゆったりとした時間と柔軟な心で世の中を眺めてみて下さい。「そんなの当たり前でしょ」なんて言わずに、子どもの頃の眼差しに戻ってまわりを見渡すと、ドキドキするような不思議とワクワクするような発見の世界が広がっていますよ。
 
 

H18.10. 慈愛に満ちたまなざし

 先月の六日、秋篠宮ご夫妻の三番目のお子さま「悠仁」さまがお生まれになりました。心よりお祝い申し上げます。
 今から八年ほど前に紀子様のご両親 川嶋辰彦教授ご夫妻が、玉峰寺にご来山なされたことがあります。大いなる光栄に私たちは非常に緊張してご夫妻をお迎えいたしました。
 その時の出来事。
 当時一歳八ヶ月だった私の長女は、草取りが好きでよく小さな草をむしっていたのですが、その時にも例にもれず境内の草をつまんでは遊んでいました。そしてあろう事か、そのむしった雑草をまるでプレゼントでも渡すかのように、川嶋和代夫人に「はい♡」と手渡したのです。私が真っ青になっていると、和代夫人は「ありがとう。」と長女の目線まで身をかがめられ、丁寧にその草を受け取られました。娘は満足げに「うん」と喜んでいます。そして和代夫人はその草をご自分のハンカチに包まれ、ポケットにそっとしまわれました。
 また、まだ赤児だった長男を「あら、可愛いわね。」と優しくやさしく抱っこして頂きました。
 和代夫人はとても子ども好きでいらっしゃるとのこと。慈愛に満ちた自然な所作や、子どもたちに向けられた慈しむような優しい微笑みは、深く心に残っています。
 今も本堂への渡り廊下にその時の写真が飾ってあります。悠仁さまの御誕生に際して、川嶋和代夫人の優しいお心遣いと笑顔を思い出しました。
 悠仁さま、御誕生おめでとうございます。
 

H18.11. ぬくもり

先日の運動会はご苦労様でした。楽しかったですね。
 運動会当日,私は園児たちのたくましい競技や微笑ましい遊戯を見ながら,カメラ片手にウロチョロしていました。ファインダーからのぞき込む園児たちの笑顔や真剣なまなざしは,いつもより誇らしげで愛らしかったです。IMG_1962.JPG吉祥天 
 後で写真を整理していると,お父さんやお母さんに抱っこされている子ども達の笑顔が目に入ってきました。とっても素敵な笑顔です。全身を委ね,安心しきった小さな体いっぱいから喜びが溢れ出しています。抱っこしているお父さんやお母さんも,すごく楽しそう。私までほのぼのとした気持ちになり,そんな写真をしばらく眺めていました。
 親から抱っこしてもらったのって,いつぐらいまでだったかな?小さいとき,お布団に隠れていた私を「あれ?いないぞ?」って,わざと見つけられない振りをしてくれた父。そして「みぃ〜つけた!」って,笑顔で抱きしめてくれた母。なんだかあの時のぬくもりを思い出しました。
 人のぬくもりって,いいですよね。
 ある檀家さんからこんな話を聞きました。長いこと病床にいらっしゃった八十数歳のおじいさんが,ある時「ありがとな。わしゃ,幸せやったぞ。」って,家族みんなの前で急におばあさんを抱きしめられたそうです。今までそんな事をされた事がないおばあさんは「なんば言いよっとね。はずかしか。」と照れて,おじいさんをそっと横にして寝かしつけたそうです。そしてその数分後,おじいさんは静かに眠るように息をひきとられたそうです。
 人はみな,人のぬくもりを求めているのですね。そして、そのぬくもりに癒されるのですね。
 私たちみんなに温かい血がかよっていて,そのぬくもりを持っています。お子さんをたくさん抱きしめて下さい。そのぬくもりはかけがえのないものです。
 

H18.12. 晋山式

先月の5日に晋山式(新住職就任式)がおこなわれ,玉峰寺の26代目の住職となりました。ご参詣にご来山された方,稚児行列にご参加された方々,そして種々の方面でご協力頂いた皆様,誠に有難うございました。晋山式.jpg玉峰寺26世 晋山式 
 玉峰寺の歴史は今から366年前に遡ります。境内の蘇鉄はご開山の徹渓龍廓大和尚以来のものであると聞いておりますし,今回新しく修復した山門の仁王様は約330年前に竹下十左衛門様から寄贈されたものです。山門の51段階段は当山23世の哲翁方丈様の代に修復され,朝夕に口之津の町の時を告げる梵鐘は24世興禅方丈様の代に哲翁鉄治先生・タマ代先生からのご寄付であります。そして,私の師匠であり,父でもある,当山25世太玄興正大和尚様は,石垣から始まり,位牌堂,庫裡,本堂の改修など,玉峰寺の様々な工事を成し遂げられてまいりました。玉峰寺のどこを歩いても、歴代の住職様が懸命に築かれてきた足跡が見られます。
 私は,この太月山「玉峰寺」26世として、住持職に就かせて頂きます。歴代の御住職様の名に,そして玉峰寺の歴史に恥じないよう,精進してまいります。およそ2500年前にお生まれになったお釈迦様からこの玉峰寺に至るまで,綿々と続く仏法を真に受け継ぐ覚悟でございます。
 これからも どうぞ宜しくお願い致します。
太瑞知見 合掌
 

H19.1. 一年の計は元旦にあり

明けまして おめでとうございます。
また一つ新しい年が始まります。今年一年が皆様にとって,最良の年になりますように,心から祈念申し上げます。100_1744.JPG迷企羅大将 
 「一年の計は元旦にあり」という言葉があります。一年の計画は元旦にたてるのがいいとか,元旦の言動はその一年を左右するとか,様々な解釈がありますが,禅宗の立場からいうと「素晴らしい人生のなかの,この一日を大切に生きよう!」とでもなりましょうか。よく考えてみると,私たちの人生は,十人十色に様々な輝きをもっていますが,みんな平等に一日24時間の積み重ねから成り立っています。更にこの一日は,今生きている一瞬一瞬の積み重ねです。私たちに与えられたかけがえのない尊い命は,時間という平等な流れのなかで生かされています。元旦であれ,誕生日であれ,記念日であれ,同じ時間の流れです。どんなに特別な日も同じ24時間という時間です。そしてその時間は悠久の古から,絶え間なく継続して流れています。ですから,「私たちの人生の計はこの一瞬にあり」といえるのではないでしょうか。
 道元禅師は『正法眼蔵』のなかで「此の一日の身命は尊ぶべき身命なり」と仰っています。このかけがえのない身体を与えられ,このかけがえのない一日を真剣に生きることが,どんなに素晴らしく尊いものか教示されています。
 元旦を特別な日と捉えるのと同様に,毎日を特別な尊い日として真剣に生きていきたいものです。
 

H19.02 保育の中心は?

先月の「保育方針説明会」には,多数のご来園を賜り誠に有難うございました。これまで保護者の方々と直接 保育に関する対話をする機会を設けたことがありませんでしたので,私どもにとりまして大変貴重な会となりました。100_1750.JPG阿修羅 
 会の冒頭では,ご出席いただいた皆様に『子育てで大切にしていること』を伺いました。「思いやり」「元気」「素直」「健康」「基本的な躾」「善悪」「スキンシップ」「協調性」など,様々な思いを語って頂き,大変参考になりました。
 その後皆様に,ドロシー・ロー・ノルトの詩『子どもはみんな,ちがうんだ』を紹介し,それぞれ自分のスピードで毎日一生懸命に成長している子ども達の姿を再認識して頂きました。そして,そのように夫々が個性を持ってそれぞれに輝いている「子どもが中心となる保育」の方向性を提案いたしました。
 明治以降 日本の教育現場で主流となっているように一人の指導者が前に立ち教えるのではなく,保育園においては,私は保育者と子ども達が『共に考え,共に学ぶ』場でありたいと考えております。これは勧学院や藩校,寺子屋などで,古の日本人が行ってきた「児やらひ」の思想に近いものかもしれません。現在の学校教育を否定するつもりは毛頭なく,私は学校教育以前の子ども達にとって何が大事なのかと真剣に問い直しているのです。
 三日間を通して,賛否両論様々なご意見がありました。賛同して頂ける方もいらっしゃいましたし,「子ども一人ひとりに目を向けるよりもクラスを中心とした集団活動に重きを置いて欲しい」などの苦言も頂きました。皆様からのご意見を貴重なものと,真摯に受け止めております。
 これからも,子ども達にとってより良き保育環境を形成できるよう共に考えながら,職員一同努力してまいります。
 

H19.03. 合掌

先月 曹洞宗青年会でカンボジアへ行ってきました。世界遺産のアンコール・ワットなど数々の宗教遺跡で有名なこの国は,人口の約95%が仏教徒で,熱帯の気候のなか,人々も自然も温和でとても魅力的な国でした。100_0664.JPGカンボジアの佛教寺院 
 それらの温厚な側面とは裏腹に,カンボジアは1970年から20年にも及ぶ悲惨な内戦の歴史があります。その内戦で数百万人という人々が命を奪われました。その時代には宗教も禁じられ,多くの寺院も破壊されたそうです。私たちが訪ねた仏教寺院には,白骨化した数限りない頭蓋骨が納められて,悲しい歴史に対する供養塔が建てられていました。それはガラス張りになっていて,無数のもの言わぬ目からは,戦争の悲惨さや平和の尊さを語りかけてくるようでした。私達はお経をあげて心からの供養をしてきました。
 そこで知り合いになった僧侶達は,とても友好的で,流暢な英語で様々な事を話してくれました。カンボジアは上座部仏教なので,2500年前にお釈迦様が定められた戒律を今も守って修行しています。お互いの修行生活の違いなどを,時にユーモアを交えながら語り合いました。『挨拶を交わす時,お互い合掌だね』と,笑い合いました。その僧侶はとても美しい合掌をします。私もつられて合掌する手が温かくなります。拝み合う私達は,お互いに素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。
 「夫婦喧嘩する前に,お互いに合掌してから始めてごらん。喧嘩なんか出来ないよ。」と言った和尚さんがいます。お互いに手を合わせあう姿は,争いのない姿です。この姿から平和な世界が広がっていくんだな,と実感しました。

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