園長先生から一言
毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。
H24.2. ゆ〜きや こんこん
今年も寒いですね。急に冷え込んで、雪がちらつく時もありました。積もることはなかったのですが、白いフワッとした雪が舞っていると、なんだか嬉しくなりますよね。「ゆ〜きや、コンコン」なんて子ども達が歌っていますよ。僕もつられて「あ〜られや、コンコン」って反応してしまいます。調子にのってそう歌っていたのですが、知りませんでした。先月の園だより「今月の歌」によると、本当は「ゆきや こんこ」なんですってね。さぶっ。
耳で聞いてうろ覚えのまま気持ちよく歌っていると、実は違う歌詞だったってことありますよね。「どんぐりころころ、どんぐりコ」じゃなくって「ドンブリコ」なんですってよ。これも知りませんでした。『赤い靴』では「ひい爺さん(正:異人さん)に連れられて」と歌ってみたり、『故郷』の「うさぎ美味しい(正:追いし)」とかね。『かごめかごめ』で「後ろの小便た〜れ(正:正面、誰)」て歌っている子もいましたね。美穂先生なんか聞き違いが多くて、ドリカムの名曲『すき』の切ない歌詞「優しい人たちのさりげない誘いを ×と大きく腕で描いた 少し笑った」ってのを、「×と大きく“筆”で書いた」って、いきなり書き初めの歌にしていましたからね。かなり笑いました。
それでも、うろ覚えでも何でも元気な声で歌うのが一番です。意味なんか考えないで、メロディにのせて気持ちよく歌うのが最高ですよ。その気になれば、歌詞の意味なんて、大きくなってから知ればいいでしょう(知らなくたっていいですし)。それよりもなによりも、季節感に合った、日本語の語感に合った、歌っていて気持ちのいい歌をたくさん知っている方が素晴らしいです。お子さんと一緒にガンガン、ルンルン歌って下さいね。
これは聞き違いとは違いますが、お葬式の時に「ご遺族は悲しみのズンドコに沈んでおられます」と言ってしまった司会者がいたとか。氷川きよしさんのファンだったんですかね?ん〜、言い違いには気をつけた方がいいかもしれません。
H24.1. 明るい未来
新しい年のはじまりです。今年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年は日本で、そして世界で、あまりにも大きな出来事が起こりました。『如来三色』東日本大震災に代表される天変地異、アラブの春のような社会体制の変化、欧州危機のように経済面も揺れ動きました。今年は台湾やロシア、アメリカ、韓国、中国など多くの国の首長が選出されます。まだまだ変化の波は続きそうです。世界がどんどん狭くなって、歴史のど真ん中で生きていることを実感せずにはいられません。
ふと、河井酔茗の『ゆずり葉』という詩を思い出しました。
(前略)
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前達に譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー 。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造つてゐます。
(後略)
いま、この詩が胸に突き刺さります。子ども達になにが残せるのか。私たちは何をいま造りだそうとしているのか。私たちが築き上げているこの世界は、大切な子ども達のために残しておきたい、譲り渡したい世界なのか。そんなことを自問しながら生きてゆかなければいけないような気がします。子ども達に譲り渡されるもの、それが優しさで満たされた「いのちあるもの」「よいもの」「美しいもの」であることを願います。そのためにも、毎日精一杯の慈愛と分別をもって子ども達に接していきたいと思います。子ども達の笑顔からかいま見える未来は、とっても明るいものですから。
H23.12. 誰かのために祈ること
再び東北へ行って来ました。南島原市保育会主催の「南三陸町へエールを送ろう」プロジェクト、保育士と共に11人で、南三陸町の保育園を訪れました。歌や踊りに紙芝居、アンパンマンまで登場して、子どもたちはすっごく喜んでくれましたよ。皆さんに折っていただいた千羽鶴もしっかりと渡してきました。皆さんの祈りを確かに届けましたからね。
私は午後の空き時間を利用して、前回訪れた気仙沼や陸前高田を再び、そして友人の住む福島も訪問しました。
津波の被害をうけた街は、9ヶ月以上経った今では荒廃というよりも、所どころにガレキが山と集められ、土台のみが残る灰色の街と化していました。奇妙に平坦な街の中を車やダンプが砂埃をあげて通りぬけてゆきます。何というか、全く生活感がなく、ちょっと不思議な感じがしました。それとは対照的に東北の山々は紅葉して活気づき、何事もなかったように実りの秋を演出しています。このアンバランスな光景を前に、災害の恐ろしさ、人間社会のはかなさ、自然の雄大さ、これらがごちゃ混ぜになった感情を抱かずにはいられませんでした。
8ヶ月振りに訪れた、当時避難所として使われていた老人ホームも、今では通常の落ち着きを取り戻していました。私がこの8ヶ月間ずっと気になっていた子どもたちもどこか別の場所に住まいを見つけたようです。あの子たちのことを思うと、今でも涙があふれてきます。でも、今はそれぞれに落ち着いた生活を送っているようだと聞いて、少し胸が軽くなりました。他にも色々と話していると、施設の方が「気にかけてもらっていたことが嬉しい」とおっしゃって下さいました。そう言っていただいて、何だかこちらまで嬉しくなりました。そして同時にハッと気が付きました。これが「祈る」ことなのかもしれない。「誰かのために祈る」。それは大それたことなのではなくて、ちょっとだけかもしれないけれど、でもいつも気にしている、フっと思ってしまう。これが「誰かのために祈る」ことなのかもしれないと思いました。そしてこの「祈り」は、きっとその誰かに伝わっていると思うのです。証明はできませんが、そう確信してしまうほど、私たちの祈りは強いように思われます。
まだまだ、お伝えしたいことはたくさんありますが、それは後ほど「たまみねHP」に書かせていただきます。まずは、みなさんにご協力いただいた千羽鶴を南三陸町の子どもたちにしっかりと届けたこと、それと一緒にみなさんのお気持ちも届けられたことを報告申し上げます。みなさん、ありがとうございました。
H23.11. THANKS, JOBS
僕がまだロン毛で白衣を着て実験室にこもっていた大学生の頃、学生たちの間で憧れのマシーンがありました。それは箱型のコンパクトなちょっと茶目っ気がある形で、マウスという当時は画期的な、また僕たち薬学の研究者にとってはなんとも居心地の悪いネーミングの装置を携えた「Macintosh」というコンピューターです。当時はコマンドで動くPCやワープロが主流でしたので、このなんとも愛らしく、手に収まる装置はとても画期的でした。中古で手に入れた箱型のMacintosh SEを、僕はまるでノートパソコンのように持ち運び、家と実験室の双方でデータ解析をやっていたものです。Sad Macや漢字トークなど思い出は尽きません。それ以来20年以上、僕はMacintoshを使い、Macintoshで思考し、編集し、デザインし、曲を作り、交信し、閲覧し、笑い、会話してきました。僕の人生の半分をMacと一緒に過ごしたことになります。この原稿もiPadで書いています。
先月5日にMacの産みの親、スティーブ・ジョブズが亡くなりました。本当に、ホントウに残念です。Innovation(技術革新)はいつも彼の「One More Thing」から始まりました。彼が発表する新しいapple製品にいつもドキドキしていました。新しい未来をのぞかせてもらっている気分でした。それはまるでドラえもんの4次元ポケットから未来を見せてもらっているような感覚でした。彼の手からはiMac、iPod、iPhone、 iPadなど、想像もしなかった未来がどんどん産み出されました。僕は彼のデザインが大好きで、彼が描くライフスタイルにとても興奮しました。聞けばジョブズは日本の禅に傾倒してたそうです。永平寺で出家しようと考えた時期もあったとか。「やっぱりね」なんて、それは結果論。ジョブズ流に咀嚼されてた「禅」は世界を変えてしまうほどのインパクトとパワーを持っていました。小さなガレージから始まったMacintoshが世界のあり方を変えてしまったのです。
2005年にスタンフォード大学の卒業式でジョブズが語った有名なスピーチがあります。(You Tubeでも見られますから、どうぞ見てみて下さい。きっと感動しますよ。)その中でジョブズは言っています。「時間は限られています。誰か他の人の人生を生きることで、あなたの時間を無駄にしないで下さい」(拙訳)。そして、最後に「Stay Hungry, Stay Foolish」と言っています。胸に響く言葉です。
敬愛するスティーブ・ジョブズのご冥福をお祈りいいたします。そして心からの感謝を捧げます。ジョブズ、ありがとう。
H23.10. からだのもと
先日ハンガリーでは通称「ポテトチップス税」なるものが導入されました。なんでも肥満防止を目的に、スナック菓子や清涼飲料水など塩分や糖分が特に高い食品に課税するというものらしいです。体格がいい中欧の人々の中でも、特にハンガリーの人たちはひと回りもふた回り大きい人が多いような気がしていました(失礼!)から、含み笑いをしながら納得してしまいました(ホント失礼!)。
英語の諺に“You are what you ate.(あなたは、あなたが食べた食物そのものである)”という言葉があります。私たちが食べる食事が私たちの身体をつくっています。私たち自身に換わっていると言ってもいいでしょう。食事の計算では○○kcalなんて表示されますから、ガソリンのような一過性の燃料みたいにイメージしている方がいらっしゃいますが、そうではありません。私たちが食べた食物は小さく小さく分解されて、私たちの身体の古くなった細胞と置き換わっているのです。つまり、その髪も指も爪も内蔵も消化液も汗も排泄物も、ぜ〜〜んぶ、他の生物の身体であったものが、私たちの身体になっているわけですね。
さらに驚くべきことには、なんと3ヶ月もするとすべての細胞が入れ替わっているんですって!つまり、3ヶ月ぶりに会った人は「おかわりないですか?」どころじゃないですよ!変わりも換わったり!全身の細胞が全部入れ替わってしまっていて、いわば別人ですよ、別の細胞の人!
それをふまえてちょっと想像してみましょう。昨日食べたあのお菓子やジュースも、保存料べったりのあの食品も、み〜〜んな私たちの身体の一部になっているわけです。『もしかしてこの指はあのお菓子?』『わたしも添加物まみれ?』なんだか、ゾッとしてしまいますね。
食欲の秋です。健康な身体をつくるために「食べるもの」をしっかりと選んで食べましょう。妙な法律で規制されなくてもいいように。
H23.9. 優しく強く
今年の夏も暑かったですね~。この夏もいろんな経験をしましたよ。セミ捕りや水遊び、プールや海で泳いだり、磯浴びに出かけたり、スイカ組さんはお泊り保育や太鼓のステージにも立ちました。子どもたちはこの夏で大きく成長したようにみえます。ひとつ一つの行事や体験が、子どもたちの小さな自信になって、それが表情や行動に現れているようです。
自信を持つことはとっても大事です。何でもいいので自信を持つことはすっごく大切なことです(それこそ根拠のない自信でも大丈夫!)。自信がつくと、好奇心が増して積極的になり、行動力がアップします。ウキウキした気持ちで何にでもチャレンジしたくなりますよね。それって毎日を、ちょっと大げさにいうと人生を思いっきり楽しんでいる状態ではないでしょうか?さらにこの「なんでもやれるよ!」という気持ちは、心に余裕をもたらし、人に優しくなることができます。よく『どんな子どもに育ってほしいですか』的なアンケートで、必ず上位に「優しい子に育ってほしい」という回答がランクインしますが、「優しい子」に育つには「自信をもつこと」が近道です。自信を持つのは簡単です。子どもたちは最初から自信に満ち満ちているのですから、特別なことをする必要はありません。子どもたちの目を見て下さい。磯遊びをする時やセミさんをつかまえた時の子どもたちの目には、でっかい好奇心と大きな自信が映し出されています。私たちはこのあふれんばかりの好奇心を、そっと支えてあげればいいのです。チャレンジと失敗を繰り返しながら、子どもたちは自分自身の力で、ぐんぐんとたくましく自信をつけていきます。
逆に考えてみましょう。どんな時に子どもたちの顔から好奇心や自信の輝きがなくなり、不安な表情になるのでしょうか?そう、怒られたり、嫌な思い、寂しい思いなどをした時ですよね。そんな時はちょっと沈んだ面持ちになります。でも大丈夫!気分転換が大の得意な子どもたちは、不安さえ取り除いてあげれば、すぐに目の輝きを取り戻します。しつこく怒ったり、グチグチいわなければ、子どもたちは呆れるくらいにすぐに明るさと自信を取り戻します。
「なんでもやれるよ。やりたいな~!」という自信と好奇心が生み出す優しさは、強さにつながっていきます。子どもたちがチャレンジする後ろ姿をそっと支えてあげましょう。まるでつかまり立ちをしだした時に後ろからゆったりと見守っているように、子どもたちが成長していくさまをそっと支えてあげましょう。子どもたちは私たち大人の信頼や愛情を感じながら、自信をもって、優しくそして強く成長していくとことでしょう。
H23.8. すごいぞ、なでしこジャパン!
先月はなでしこジャパンがFIFAワールドカップで優勝しましたね!優勝ですよ、優勝!世界一です!金メダル!とてつもない快挙に鳥肌が立ちました。予選リーグでイングランドに惜敗した時には、正直「きびしいな~」って思っていたのですが、なんの、なんの。めくるめく感動のシーンを、まぶたに焼きつくような素晴らしいプレーを、鮮やかにいくつも残して優勝カップを手にしました。歴史に残る快挙ですね。選手のみなさんのタフさ、強い精神力に、あらためて感じ入りました。草食系男子・肉食系女子と揶揄されて久しい昨今、女性たちがとてもまぶしく思えます。なでしこジャパンのみなさん、おめでとうございます。
Swayambhunath
そして、彼女たちの勝利は、大震災以来暗く厚い雲がかかっていた日本に、明るいひとすじの光を放ちました。強く大きな光です。明け方から日本中が歓喜し、眠たい目をこすりながらもその日の仕事をしっかりとやり抜こうとする気持ちを多くの人たちが抱いていたと思います。「あきらめなければ、どんな夢でもかなう!」なでしこジャパンの姿から、そんなメッセージが発されていた様に感じました。
「強さは肉体的な力からくるのではない。それは不屈の意志から生まれる」という言葉を、マハトマ・ガンジーが残しています。まさに彼女たちにはこの言葉がぴったりですね。そして、元サッカー日本代表監督のジーコは「精神力の強さは、窮地に立ったときによく現れる。逆風のときに心を強く持つには、精神的な強さがないと難しい」と言ったそうです。
なでしこジャパンが予選リーグで惜敗したあとに、東日本大震災の復興に向けて頑張っている人々の姿を映像で観て奮起し、決勝リーグに臨んだと報道されていました。復興に希望のあかりを灯そうとした選手みなさんの心意気にとても感動しました。また、女子サッカーの認知度の低さから、環境や待遇、経済的にも大変な思いをして、サッカーを続けてこられたと聞きます。これらに打ち克つ力、まさに逆境における精神的な強さが、彼女たちを優勝へと導いたのでしょうね。心からお祝いを申し上げたいと思います。なでしこジャパンのみなさん、本当におめでとうございます。そして、多くの希望と夢をありがとうございます。
H23.7. 雨の音
今年の梅雨は雨がよく降りましたね。一雨ごとに緑が深まってゆくさまは、梅雨のうっとうしさも忘れさせるほどの美しさです。雨上がりの笹舟や泥んこ遊びなど、あふれる雨水で遊ぶ子ども達の姿も新緑と同様に躍動感にみなぎっています。
先日広島風お好み焼きのお店の方からこんな話を聞きました。その方はすっごく元気で気さくな方で、豪快に笑う、絵に描いたような「肝っ玉母ちゃん」です。お好み焼きもジュワァ~~と豪快に美味しく、カウンター越しの会話も大笑いでした。でもこの肝っ玉母ちゃんは、雨の音がとても嫌いなのだそうです。
若い頃に大雨が降って土砂崩れがおこり、家が流されて母親と妹達を亡くされたのだそうです。もう20年以上も前のことなのに、「いまでも雨が降ると、すっごく不安になってくる」「雨を見ていると、また大切な人が流されてしまうのではないかと胸が苦しくなる」と、先ほどまでの快活さが消えて、静かに語られました。
これを聞いて、すぐに被災地の方々のことを思い出しました。被災地の子ども達も同じ感覚なのでしょうか。大人になっても思い出すのでしょうか。私たちにとって心地よい波の音が、津波の恐怖を思い出させてしまうのでしょうか。それを思うと、こちらの胸まで苦しくなります。
幼少の頃の体験は、成長の過程だけではなく、大人になってからも影響を与えます。仏教ではこれを種子(しゅうじ)と言い、現象がおこる可能性を指します。あらゆる経験が種子として私たちの意識下に入り込み、何かの縁がきっかけとなってそれが現れてくると考えます。ですから、幼少期だけにとどまらず私たちが経験することは、必ず未来に影響を与えます。そうであれば、明るい未来を迎えるためには、今できるだけ豊かな幸せな時を過ごすことでしょう。子ども達にお腹いっぱい素敵な経験をしてもらいたいと心から思っています。
H23.6. あなたのおかげで 今がある
小学校の運動会に行ってきました。卒園児が走るたびにドキドキしたり、「がんばれぇ〜!」って大声で応援したり、『大きくなったなぁ』なんて感慨にふけったりと、なんとも忙しく楽しい時間を過ごさせてもらいました。大きな行事では先生たちと生徒達の信頼関係が垣間見られますので、それも一つの楽しみです。そこでは年齢が低い程、子どもと先生の距離が近い気がします。保育園では抱きつく程の間柄が、小学校では少しずつ離れていって、中学校ではもう同じくらいの目線に立ちます。でもその距離にかかわらず、どの時代にもお互いの信頼関係は大切です。お互いの人生が交差する時ですから、相手の想いは強く感じられます。
先日、私が小学校1〜2年生の時に教えて頂いた担任の先生の葬儀を勤めて来ました。私にとっては初めての教師、大好きだった先生です。小学校入学まで文字が読めなかった私に、初めて「あいうえお」を教えて下さった先生。かけ算九九の7の段がなかなか覚えられなかった私をうまく指導して下さった先生です。よく「大丈夫よ。」と励まして下さいました。出来の悪い私に対して、とても丁寧に接して下さいました。それから10数年後に、私が化学の研究室に入り実験をしたり、次には5カ国語以上の文献を比較研究するようになるなんて、きっと想像だにされてなかったでしょう。先生に教わった一歩が、私の人生の歩みにしっかりとつながっています。
また、私はよく覚えていないのですが、なんと「せんせい、先生が死んだら僕がお葬式ばしてやるけん!」って約束していたそうです。幼いとはいえ、なんて事を言うのでしょうか。恥ずかしい限りです。ですが、約束通りに先生に恥じないようにしっかりと勤めてきました。きっと先生も、私が小学校の運動会で卒園児に対して思うように、ドキドキしたり感慨深く見守って下さっていたと思います。
私たちの人生は、「私」がつくりあげるものではありません。「私を取り巻く人々や環境」が必ず大きく影響していきます。たった一人では生きていけません。時代や多くの人々に囲まれて私たちはここにいます。改めて「先生、あなたのおかげで 今があります」と深く感謝をしました。
H23.5. あふれる気持ち
先月、岩手県と宮城県に災害ボランティアの炊き出しに行ってきました。
3月11日の震災以降、日本中の人たちが「被災地のために、自分にはなにができるのか?」を考えていると思います。私もメディアでその状況を見る度に悶々としていました。現実とは思えない、まるでSFXかと見まがうような映像。小さな模型のように流されていく家や車、街並。すべてが想像を絶する画面に、ただ呆然とし、涙ばかりが流れてきます。そして震災から一ヶ月が経とうとする時、曹洞宗の青年会よりボランティア要請のメールが届きました。『もしも自分に何かできるのならば、、』と、すべての予定をキャンセルして現地に向かいました。
現地の状況は報道以上にシビアでした。廃墟と化した街並、散乱した品々、破壊された車、折れ曲がった電柱、湾曲した線路、沿岸部がほぼ壊滅状態です。被災者の方々に会うのもつらかったです。ですが、避難所では子どもたちは元気に遊び回っていました。友達と一緒に笑っていました。ここに大きな希望が見える気がしました。「この子たちのためにも頑張んなきゃ!」って臨みました。子どもたちの笑顔にどれだけ希望をもち、勇気づけられたか知れません。
私はボランティアは初めてです。足手まといにならないか、不安もありました。体力的にも精神的にもキツかったです。でも「今やんなきゃ、いつやるんだ!」って、自分を鼓舞しました。その時にとっても力になったのが、みなさんから頂いた応援メールやブログへのコメントです。本当に力になりました。みなさんのあふれ出すような気持ちが伝わってきて、私はみなさんの想いを背負って動いている気になりました。みなさんの言葉が心に届きました。
インテルの長友祐都選手が震災直後に「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない。みんながいる。みんなで乗り越えよう!You never walk alone.」と書いた日の丸の旗を持った映像が流れましたが、本当にその通りだと実感しました。被災された方々も、私たちも、みんながつながっているんです。手は握れないけれども、気持ちはつながっているんです。だから、日本中のあふれ出す善意の気持ちは、被災地にも届いています。私たちの祈るような気持ちは必ず届いています。
先日亡くなった元キャンディーズの田中好子さんが最後のメッセージでこう仰っていました。「(病気に負けてしまったら)その時は、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。」病床にありながらの、慈愛に満ちたこの言葉はかなり衝撃的でした。この想いも、必ず届いていると思います。
私たちのあふれ出す気持ちは、必ず被災地の方々にも届いています。そしてそこに少しの行動が加わると、小さな一歩が踏み出せるかもしれません。地元の方は「被災地の特産品を買って下さい。この土地で生産したものが売れると、地域が活性化します。」と仰っていました。私たちができることはたくさんあります。それには、大きな目で見る小さな「気づき」が大切なのだと思います。小さな気づきが大きな一歩につながります。
被災地の一日でも早い復興を心から祈っています。
(ボランティアの詳しい内容はHPの「たまみねダイアリー・特設ページ」に載せています。)
H23.4. つながり
入園・進級した皆さん、おめでとうございます。
今年の桜は遅咲きで、ちょうどこの新しい始まりを彩るように咲き始めました。美しい花びらを眺めながら、これからの一年がとても楽しみな気持ちになります。
dawn at the Ganges
「帝釈天の網」というたとえがあります。帝釈天というインドの神様が、結び目にキラキラ光る玉がついた網を張り巡らされているといいます。ピカピカの玉ですから、周りの色や風景を映し出します。そしてお互いがつなぎ合わさっていますから、隣の玉がちょっと動くとこちらも引きつられて動き出し、その連鎖でまわりも動き出します。ピカピカの玉が網状に連なって、お互いに影響し合いながら広大に広がっているのです。なんともまぁ、スケールの大きな話しですね。でも、何かに似ていますね。そう、これは私たち人間の関係性を示しているのだそうです。
私たちは一人では生きていけません。たくさんの人たちとの関係性の中で生きています。好むと好まざるとにかかわらず、色んなことに影響を受けて生きています。絶対的な自己があるのではなく、今自分がいる関係性の中で自己が成り立っているわけです。疲れている時にも子どもの笑顔で心がなごむように、私たちはまわりから影響を受けながら過ごしています。「帝釈天の網」のたとえによると、その連鎖は遠くの人にまでおよぶのです。
今回の震災では、想像を絶する自然の猛威に言葉をなくしてしまいます。避難生活を余儀なくされている人たちが多数いらっしゃいます。子どもたちも辛い日々を過ごしていることでしょう。一瞬にして世界が変わってしまった方達の想いは計り知れません。遠い地から心を痛めます。そして何気なく過ごしている日常を、これまで以上に愛おしく思います。私たちに何ができるのか、自問自答をされる方もたくさんいらっしゃるでしょう。その時に「帝釈天の網」を思い出して下さい。それぞれに出来ることが、きっと被災された方々につながっていきます。
マザーテレサは「愛の反対は無関心だ」と仰っています。今、日本が直面している問題にしっかりと向き合って、私たちができることをやっていきたいと思います。
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