たまみね園長,ひとこと・ふたこと・みこと

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園長先生から一言

毎月発行の「たまみねだより」に掲載している園長先生のコラムです。

H20.03. みんなつながっている

春は一つの節目です。数年間一緒に遊んできたスイカ組さん達が卒園していきます。みんなと過ごしたたくさんの楽しい時間は,きっと忘れません。みんなの笑顔や元気にたくさんの幸せをもらいました。100_1765.JPG
 『勝鬘経』という仏典に「網の目は互いにつながっている」という言葉があります。漁に使うような大きな網を想像して下さい。網の目の一端を持ち上げると,その周りの糸や網目も一緒に盛り上がりますね。また,逆に網の一カ所に重いものを置くと,その重さに引きずられて周りも一緒に落ち込みます。全ての網の目についても同じことがおきます。つまり,どの網の目も網全体に影響を及ぼす中心となっているのです。
100_1763.JPG 私達が生きている世界も,この網の目のように,互いに影響を及ぼし合いながら成り立っています。例えば仲の良い人が成功したり夢が叶うと,まるで自分の事のように嬉しくなるでしょう。また、家族の誰かが病気や怪我をしたりすると,心配でこちらまで暗い気持ちになってしまうことがあります。「だれにも迷惑をかけていないからイイじゃない」という言葉を耳にすることがありますが、それは違います。誰にも影響を及ばさないで生きる事は出来ません。生きているだけで、その存在意義は確かにあるのです。私たちの生活は網の目よりももっと複雑に絡まって、お互いに影響し合いながら成り立っています。他に関わる事なく生きる事など出来ません。そして、誰もが世界の中心です。あなたの幸せに私までもが幸せになり,あなたの悲しみに私も悲しくなります。100_1795.JPG
 卒園していくみんな、たくさんの笑顔をありがとう。みんなの笑顔にたくさんの幸せをもらいました。卒園してもみんなとはずっとつながっています。その素敵な笑顔で、また玉峰保育園に遊びにきて下さいね。

H20.02. 大丈夫やで!

先月15日には元花園大学学長の西村惠信先生をお招きして、子育て講演会「保育者・教育者であることの条件」を開催いたしました。西村先生はご自身の幼少時代の経験からにじみ出る愛情に満ちた子育て論をお話しいただきました。100_1761.JPG
 先生は2歳のときに寺にもらわれ、実の両親の顔を知らぬまま幼少時代を過ごされます。厳しさと愛情を持って育てられますが、本当の両親に会いたいという切ない思いに幼心を痛められたそうです。それから大変な苦労をされ、アメリカ留学を経て京都大学博士課程修了後、花園大学教授就任、同大学の学長までつとめられました。今では禅宗を代表する高名なお師家様です。お伝えしたいエピソードはたくさんありますが、ここでは「おねしょ」のお話をご紹介いたします。
 先生は小学校5年生まで続いたおねしょに非常に思い悩まれたそうです。どんなに努力しても治らずに叱られ続け、医者からは病気だから治らないと言われ、とても恥ずかしく悔しい思いをして深く傷つかれたそうです。プロポーズの時にも「僕は小5までおねしょをしていたけれど、もし生まれてくる子もそうだったらどうする?」との切実な問いに、奥様が優しく受け入れて下さったから結婚を決意されたとのこと。おねしょをした布団が干してあるのを見ると胸が痛み、そこの家の子を訪ねて行って「わしも長いことおねしょしてきたけど、絶対に治るから心配せんでよろしい。おねしょたくさんした子は頭よくなるんやで。ジャンジャンしなさい。」と激励に行かれたそうです。その子はその言葉にどれだけの勇気と安心をもらったことでしょう。今にも泣きそうな困惑した子の顔が、少し赤みを帯びて希望に輝きだす表情を想像して、私も非常に感動いたしました。
 自分の幼少期のつらい経験から、今同様な問題を抱き思いで悩んでいる子ども達に、優しい思いやりのある言葉と深い愛情をかけられる先生のお話に、子育ての最も大切なものを教えていただきました。

H20.01. 新しい年と洗濯物

新年明けましておめでとうございます。今年一年が皆様にとりまして最良の年になりますように,心から祈念申し上げます。100_1740.JPGわらべ地蔵
 私は夕食後に家族の洗濯物をたたむ時間をもうけています。キレイになった洋服をたたみながら,子ども達が傍であそんでいたり,勉強したり,楽器を弾いたりと,日中は離れている家族がすぐに近くに集まってワイワイとしている時間です。
 私のサイズの半分にもみたない服や2/3程の大きさの服を手に取り『もうこんなに大きくなったのか〜』と,子どもの成長の早さに気がつきます。また,洗濯しても取れきれなかった袖口や襟のシミを見て『...とは言っても,まだまだ子どもだなぁ』なんて感じたり,膝こぞうが薄くなってきたズボンを見て『元気にあそんでいるなぁ』なんて嬉しく思ったりもします。服をたたみながら,日中の子ども達の楽しそうな笑顔が浮かんできて楽しくなります。
 ある夕食後,洗濯物をたたんでいると,次男が「パパ,ハンバーグおいしかったね。」とニコニコして話しかけてきました。「うん,美味しかったね。」と私。たわいもない会話なのですが,その子の小さな服を片手にしていた私は,子どもの笑顔と成長とを同時にかみしめながら,心が喜びに満たされました。子ども達の成長と笑顔は,私たちに大きな喜びを与えてくれます。
 新しい年の始まりです。洗濯した服と同じように真っ白な気持ちでこの一年を迎えましょう。子ども達は今年も大きく大きく成長していきます。いつも真新しい好奇心の目を持ってたくさん遊んでいるように,この新しい年にも子ども達はのびのびと活動していくことでしょう。そんな笑顔に包まれる一年の始まりをとても嬉しく思います。

H19.12. 移りゆく色彩

先日,玉峰寺の団体参詣で大本山永平寺や京都・奈良を訪ねました。ようやく秋の風が吹き始めた頃で,京都や奈良の古都を彩る緑や黄,赤の色がとても目に鮮やかでした。紅葉としてはまだ三分程でしたが,緩やかに移りゆく色彩の多様さや美しさに,目も心も奪われました。遥か聖徳太子が拝まれたであろう仏像を拝観しながら,また古の先人達が歩まれた小道を歩きながら,時代を超えて悠然と自らを移ろわせ紅葉してゆかんとする木々に自然界の偉大さを感じました。100_1693.JPG鎌倉大仏
 木々が紅葉するにはある程度の冷え込みが必要だと言います。雨や気温などの気候条件,栄養や日照,地質など他にも様々な条件が重なって山々を彩る木々の美しい姿が現れるのですね。東から昇る太陽が毎朝その表情を変えるように,季節は毎日移り変わってゆきます。山の木々一本一本に,日々の積み重ねによる年月の結晶が見えるような気がします。
 私たちも同じですね。同じように思えても,変化していく日々の中を生きています。一日として同じ日はありません。毎日の様々な体験を通して,私たち自身も日々変化しています。たくさんの経験が種子となり,私たちの人生に多様な彩りを添えてくれます。
 素晴らしい体験が人生を豊かにしてくれるように,子ども達にもたくさんの素敵な体験をして,その子自身の色を多く持ってもらいたいと思います。毎年HOIKU WEEKで色々な音楽や体験を用意しているのも,その彩りを添える一色を提供しているようなものです。子ども達の多才な感性はそれを感じ取り,その子達の将来に多彩な色を添えてくれることでしょう。
 これからもたくさんの経験をして,自分に蓄えられたたくさんの色を混ぜ合わせながら,どんな色彩を見せてくれるのか,すごく楽しみです。

H19.11. 笑顔があふれる場所

みなさん,秋をいかがお過ごしですか?朝晩が涼しくなり,心地よい秋風を感じると心が穏やかになってきますね。秋はいい季節です。
IMG_6787.JPG鑑真和尚 私にとって今年の秋はスポーツの秋でした。第1回口之津地区体育祭では「たまみねパパ軍団」として,なんと4組16名のお父さん方が出場して下さいました。私は足がもつれないように走るのが精一杯でしたが,2位を記録するチームもあったりと,なかなかの健闘ぶりでした。出場頂いたお父さん方,ありがとうございました。みなさん,かっこよかったですよ!
 そして「たまみね運動会」。とっても楽しかったですね。私も参加しながら、そしてカメラのファインダーをのぞきながら,子ども達や保護者のみなさんの笑顔をたくさん見ることが出来ました。どの子もとっても嬉しそうにしていましたね。いつも以上に楽しそうでした。真剣な顔で走ったり,踊ったり,転んで泣いてしまった子もお友だちや兄妹の支えですぐに笑顔にもどりました。親子競技での親子共々のはじけるような笑顔が強く心に残っています。会場全体が笑顔と優しさに包まれ,とっても幸せな時間に感じられました。
 「子育て」とはいいながらも,子どもの成長とともに親も子も一緒に育っていきます。子どもも大人も成長過程のまっただ中にいるんですね。「ちゃんとしなさい」なんて大人として子どもに注意しながらも,「ちゃんとしなきゃ!」って自分自身にも注意を促しています。うまくいかないと悩んだり,うまく出来たと喜んだり,泣き笑いしながら一歩一歩 成長していきます。大切なのは一緒に歩んでいくこと。距離を置かず,肌のぬくもりを感じながら一緒に成長していくことだと思います。
 運動会に参加して下さったみなさん,ありがとうございました。たくさんの笑顔があふれる幸せな空間を,みなさんと一緒に共有できて本当に嬉しかったです。

H19.10. 月を釣る

「お父さん、外を見て!今日の月は一年中で一番きれいなんだって!」小学4年生になる息子が私を外に誘いました。見上げてみると,まん丸いお月様が空高く,静かに輝いています。庭の木々や園舎が,月明かりに照らされて淡い群青色に染まっていました。見慣れた場所が,神秘的な情景に変わっています。久しぶりに仲秋の名月を眺めることができて,「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」(松尾芭蕉)とまではいきませんが,とても穏やかな時間を過ごすことが出来ました。
 道元禅師に「釣月耕雲」という言葉があります。「月を釣り,雲を耕す」とは,何とも雄大で,世俗的なことにとらわれない禅の家風を見事に表現しています。私はこの語を聞いた時に,ハリウッドの映画監督スティーブン・スピルバーグが設立した“Dream Works”の映画会社のイメージ映像で流れる「月に腰を下ろし釣り竿を垂れている少年」を思い浮かべました。月を釣るのと,月から釣るのとでは,随分と異なりますが,どちらもゆったりとした心境で釣り竿を持っているのでしょう。そのイメージが合致したのです。ピクチャ 4.pngDreamWorks LLC
 「釣り」というと,たまみねHPの[Talk]コーナーに『子どもと一緒に釣りに出かけて,ヒーローになっているお父さん』の楽しそうな様子を投稿して頂きました。また,うちの職員には夫婦2人で夜釣りに出かける人もいます。どちらもとっても素敵な情景ですね。
 秋の夜長に大切な人と,ゆっくりとした時間を過ごす。まさに「釣月耕雲」の心境でしょうか。

H19.09. The universe with God

今年も『禅とキリスト教懇談会』に参加してきました。高名な学者や宗教者が,宗教や宗派を超えて一同に会し宗教的対話を行います。今年のテーマは「坐禅と祈り」。そこでは,何年もかけて取り組むべき遠大な命題が投げかけられ,清澄で深遠な言葉が多く語られました。100_1741.JPG矜羯羅童子
 総合テーマを講演されたカソリック教会のイタリア人神父フランコ・ソットコルノラ神父が,「神様は人間がなくとも考えられるが,人間は神様がいらっしゃらなくては考えられません。(You can think of God without the universe, but you cannot think of the universe without God.)」とおっしゃいました。どういう意味なのか,にわかにはつかめなかったのですが,神父の「上流がなければ下流はありません。つまり,水が湧き出る源泉がなければ下流に水は流れません。」という比喩を聞いて,ようやくその意味が分かりました。そして同時に素晴らしい真理を示す言葉である事にも気がつきました。
 この「神様」という言葉を「自然」に置き換えてみてください。私たちの身の回りにある空気や木々や土などは,私たちがいなくてもしっかり存在しています。しかしながら,私たちは空気や水がないと存在する事が出来ません。ごく当たり前にあふれているこの自然の恩恵がなければ,私たちは生きる事が出来ません。またこれを,仏教が説く「法(dharma=自然の摂理)」に置き換えてみましょう。お釈迦様が説かれる「縁起(他との関係が縁となって物事が生起すること)の法」や「諸行無常(凡てのものは絶えず変化している)」など,やはり自然の摂理に反して私たちは生きている事は出来ません。
 帰りの電車の中でフランコ神父の言葉を何度も思い返しては考えてみました。この自然界に包まれて生きている私という小さな存在に,温かな光が射し込んだ気がして,「ありがたいな」と何度も手を合わせました。

H19.08. セミの声

暑い夏の到来です。保育園でもセミさんが「ミ〜ン,ミ〜ン」と,この夏を謳歌するように鳴き誇っています。今年は梅雨が長かっただけに,蝉の声に夏の到来を心強く感じます。100_1745.JPG救世観音
 先日「都会の喧噪を離れて田舎に行っても,虫がうるさいですよね。」と発言したニュースキャスターがいましたが,あれには閉口しました。確かに一斉に鳴き出すと耳につくものではありますが,暑い夏の間 精一杯に鳴く蝉の声は力強い生命力を与えてくれます。上昇する気温と揺らぐような空気感,そこから見える風景を包み込むような鳴き声は,日本の夏の風物詩でしょう。
 そういえば,西洋人は虫の音を騒音ととらえる傾向があるらしいですね。私が以前ヘルシンキの老人ホームで,松尾芭蕉の『古池や 蛙飛びこむ 水の音』を紹介した時に,「それから?」と質問された事があります。私たち日本人にはこの句が描き出している風景を心に浮かべながら,その完結された静寂の情景を感じ取る事が出来るのですが,この情感は万国共通とはいかないようです。
 同じく松尾芭蕉が『閑さや 岩にしみいる 蝉の声』と表現したように,蝉の声がスーと吸い込まれていくような静けさ。私たち日本人は,無音の沈黙よりも,このような静寂の中により深い静かさを感じるように思います。(有名な京都・龍安寺の枯山水の石庭は『無』を表現しているといわれていますが,そこには何もないのではなく,白砂に十五個の石が置かれています。)
 夏を謳歌する蝉の鳴き声と,そのセミを追う子ども達の声と姿。ここに日本の夏の原風景があるように思えます。

H19.07. 保育大会にて

先月末に第50回 全国私立保育園研究大会が長崎市を会場として開催されました。全国各地の保育園から約2500名の方が参加され,当初の予定を大幅に上回る大盛会となりました。長崎大会ロゴ1.jpg
 私も広報部員として写真撮影や印刷,HP作成などでお手伝いを致しました。広報という役柄,実際に会場に足を運び,多くの講演やディスカッションを見聞きする機会を得ました。
 とある会場で「親も親になろうとして,成長しているんです。その親の思いを受け止めましょう。」と発言された方がいらっしゃいました。子どもが成長していくのと同様に,親も一生懸命に「親」になろうと成長しているのですね。子どもが生まれたからといって,すぐに思い描く親になれるわけではありません。私自身の経験からも,第1子目の時は何もかもが手探りで,子が成長する感動と同じくらいに不安や心配をいだいていました。今でもそうです。子育ては勉強や仕事よりも予測がつきにくく、思い通りにいくものではありません。新しい生命には,その子自身の人生の歩みがありますから,親の思い通りにならなくて当たり前です。育児書に書いてあることは,単なる目安です。大切なのはその子自身の成長をしっかりと受け止めて,共に考え悩みながら歩んでいくことだと思います。子育てに正解なんてありません。子どもは大きくなるために,親は親になるために,たくさん悩みながらも「自分の人生を歩もう」と一生懸命に成長しているのです。
 子ども達の世界は広く、その可能性には限りがありません。それ故に大人が理解しにくい部分もあります。私たちも日々の保育のなかで大いに悩むことがあります。それ故に,子ども達の成長を心から嬉しく思えます。これからも保護者の皆さんと共に考え,共に喜びながら,大切なお子様の成長を見守っていきたいと思います。

H19.06. 幸せの共有

先月は東京より清水醍輝さん,篠崎由紀さんをお招きして,保育園でミニ・コンサート、玉峰寺では「禅と弦の夕べ」を開催致しました。両コンサートは全く趣向が異なるものでしたが,どちらとも素晴らしい内容でした。100_1748.JPG地蔵菩薩
 保育園では和やかな雰囲気のなか,子ども達の素直で楽しい感性に同調しながら,たくさんの笑顔とともに美しい音楽が流れていました。一緒に歌ったり,手拍子したり,不意に転調する曲に笑ったり,音楽の楽しさの原点を見たようでした。
 翌日,玉峰寺本堂で開催した「禅と弦の夕べ」では,禅僧と共に坐禅の体験をした後にクラシックコンサートを聴くという新しい試みでした。このコンサートでは,曲の構成が変わるたびに,禅僧が恭しく演奏者の譜面台や椅子を運び,合掌低頭します。まさに「禅」と「クラシック音楽」の融合です。須弥壇のロウソクに照らし出されたお釈迦様や,本堂の天井からつり下がっている天蓋がいつもよりも穏やかに輝いていました。
 背筋をピンと伸ばし,ゆったりと呼吸をととのえて,心静かに自分自身と向き合う時間を過ごした後,清水醍輝さんのヴァイオリン・ソロが本堂に優しく広がってゆきます。きめ細やかな細部の音までが,全身にしみ込んでゆくようです。篠崎由紀さんのチェロの響きは,優しく語りかけるように私たちの心を包み込んでくれました。お二人の音に美穂先生のピアノが溶け合うと,本堂全体に美しい音楽が満ち溢れ,全身が静かな喜びに充たされます。大げさに思えるかもしれませんが,「今ここに生きている」幸せを感じました。
 演奏者や禅僧,ご来山頂いた方々や,本堂という荘厳な空間,それらすべてがあの幸せな時間を作っていました。何一つ欠けてもあの幸せな空間はできなかったと思います。私たちみんなの心が穏やかに一つになれた時に,幸せの共有ができて,感動の涙が出る程の幸福な時が生まれるのですね。

H19.05. 足の裏で歩く

春の陽光が心地よい時節になりました。温かな光を浴びながら優しい風を全身で受け止めると,心からこの世の素晴らしさを感じずにはいられません。その春陽のなかで子ども達が体いっぱいに笑いながら遊んでいる姿を見ると,私の頬も思わずゆるんできます。この世の美しさを愛おしく思います。100_1135.JPG広目天
 私たちはいつも忙しすぎて,この大自然の美しさ,子ども達の笑顔の素晴らしさ,愛する人たちと一緒に過ごすことのできる幸せを静かに見つめる時間がありません。あまりにも多くの情報や刺激が氾濫しすぎていて,そこに貴重な時間や心を費やしてしまい,隣で微笑んでいる素晴らしさに心を休める暇がありません。
 皆さんは歩く時にしっかりと足の裏を意識して歩いていますか?私は修業時代に,廊下を歩いていたら不意に後ろから足を蹴られ,「しっかりと足で歩かんか!」と叱られたことがあります。「頭で歩かず,足の裏で歩け!」先輩の僧はそう咎めました。私はきっと,何か考え事をしながら漫然と歩いていたのでしょう。そのことをきつく諌められたのです。また,お風呂を薪で焚いていた時に,「風呂を焚く時は,薪になって真剣に焚かんか!」と叱られたこともあります。その時もまた,想いを遠くにやっていたのでしょうね。
 私たちは今に生きながら,過去を悔いたり,未来に不安を思ったり,頭では別のことを考えていることがよくあります。それでは今を生きていることにはなりませんね。ご飯を食べる時は食べることだけに,遊ぶ時は遊ぶことに,仕事をする時は仕事に没頭して,その時々,一瞬一瞬に真剣に生きること,それが先輩の僧が指し示して下さった教えだと思います。

H19.04. 毎日の輝き

春の陽気に桜が咲き誇り,それに呼応するように保育園では子ども達の笑顔も満開です。
 今年は62人の子ども達の笑顔を迎える事ができ,職員一同心から嬉しく思います。今年度もたくさんの経験をし,素敵な一年になる事でしょう。
 さて、私達が子育てや保育をしていく中で、気を付けなければいけないことがあります。それは、子ども達よりも大人の私達の方が完成しているという錯覚です。
 こんな笑い話があります。自分の子どもが生まれて言葉を覚え出した時に,同時に父親も外国語を学習し始めました。その子が1語覚えたら自らも1つの単語を覚え、文章で話し出したら自分も相応のセンテンスを覚えるという具合です。父親は毎日努力をしますが,いつの間にか子どもの方がとてつもない量の言葉を取得して,遂には父親が全く追いつく事ができなかったという話です。
 子ども達は驚くべきスピードで学習・成長していきます。同様に,私達大人も日々生活する中で様々に考え行動し,学習・成長しています。その内面の知識量や経験値は大人の方が上でしょうが,子ども達の学習能力のスピードは,先入観で縛られている大人よりも遥かに上回っているようです。そこには目に見える物すべてに対しての好奇心や,『これは何だろう』と思う探究心,純粋であるが故に全てを許容する懐の深さが関係しているように思えます。私達も子ども達に負けないように、成長しなくてはいけません。もう一度,子ども心に戻って,私達の周りを見渡してみませんか。朝の太陽の輝き,四季の移ろい,美味しい食事,子ども達の笑顔,普段では何事もないたくさんの事が,奇跡に近い輝きをはなっています。
 子ども達に接する事で大切な事を日々教えられ,私達の人生を素晴らしいものにしてもらっているように感じます。

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